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仙台高等裁判所 昭和46年(う)231号 判決

本店所在地

福島県伊達郡保原町字大和一〇七番地

商号

株式会社 山崎メリヤス

右代表者代表取締役

山崎利作

本籍

福島県伊達郡保原町字九丁目一四番地

住居

同県同郡同町字大和一〇七番地

会社役員

山崎利作

大正九年二月二九日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和四六年五月二五日福島地方裁判所が言い渡した判決に対し、検察官から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官斎藤吾郎作成名義の控訴趣意書および検察官平井太郎作成名義の「控訴趣意の補充ならびに釈明」と題する書面記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人勅使河原安夫、同綱沢利平連名作成名義の答弁書および右弁護人両名作成名義の「控訴審に於ける検察官の「控訴趣意の補充ならびに釈明」に対する弁護人の答弁書」と題する書面記載のとおりであるから、いずれもこれをここに引用する。

(本件控訴の趣意の要約)

原判決は、大約「被告会社はメリヤス製品の製造販売を営む株式会社であり、被告人は右会社の代表取締役としてその業務全般を掌理しているものであるが、被告人は右会社の業務に関し、法人税を免れる目的を以て、売上脱漏等不正な方法により、(一)昭和三四年九月一日より同三五年八月三一日までの事業年度において、実所得金額につき一六、二七一、五八二円過小の申告をなし、もつて法人税額六、一八三、二一〇円を逋脱し、(二)同年九月一日より同三六年八月三一日までの事業年度において、実所得金額につき三六、〇七〇、二二〇円過小の申告をなし、もつて法人税額一三、七〇六、六七〇円を逋脱したものである。」との公訴事実に対し、被告会社設立時に約六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円の簿外持込資産が存在した高度の蓋然性があり、「被告人山崎が被告会社から売上脱漏、加工賃の水増等の方法で持込資産相当額を回収しそれを架空名義の預金とした」という被告人の主張には説得力があり、「持込資産は存在せず、被告会社成立後の約六、〇〇〇万円の架空名義の預金はすべて会社に帰属する」ことを前提とする検察官の本件各訴因に関する法人税逋脱額および被告人の逋脱の犯意の主張は根底から覆えされ、本件各訴因は証明のなかつたことに帰するとして、各被告人に無罪の言渡をした。けれども本件各公訴事実は、原審で取調べた証拠を精査すれば、被告人らが主張する持込資産の不存在の点をも含めて、優にこれを認めることができるのであつて、これに対し無罪を言い渡した原判決は後記のとおり証拠の取捨選択とその価値判断を誤り、事実を誤認したものであつて、この誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

すなわち原判決は、被告会社設立当時に被告人山崎が約六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円の個人の簿外資産を所持していた旨の原審公判廷における被告人山崎の弁解およびこれと符節を合わせた被告会社取締役である証人山崎隆子、同社総務部長であつた同山野辺実、被告会社と密接な取引関係のある参考人の証言などを採用し、被告人提出のデザイン帳(証第一三二号ないし一三八号)、昭和三五年八月三〇日附貸借対照表(証第四一号の一)および棚却表(証第二一〇号)の記載内容を十分検討しないで、被告人主張のとおりこれを信用し、前記デザイン帳を基礎として被告会社のメリヤス製品の生産日数は九〇日以上であると認定し、これを前提条件として被告会社の第一期首における実際の資産を推定している一方、被告人主張の簿外資産の存在しなかつたことを立証するに足る山野辺実の検察官に対する昭和三八年七月二日附、同年七月二九日附各供述調書、月別試算表(証第一〇〇号)、企業診断書(証第一〇五号)等の証拠価値を認めなかつたが、原判決の右判断は証拠の取捨選択とその価値判断を誤つたもので、その結果有罪とすべき本件を無罪と判断したものである。

(当裁判所の判断)

しかしながら、被告会社設立時に約六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円の簿外持込資産が存在した高度の蓋然性があり、本件各訴因はいずれも証明がなかつたことに帰するとした原判決の判断には以下所論について順次検討する結果を総合すると誤りはなく、原判決に事実誤認の廉は存しない。

一、被告人の供述の信用性について

(一)  所論は、被告人の簿外資産の所持に関する弁解は、国税査察官および検察官の取調に対しては、個人経営でメリヤス製造を始めて間もなく昭和二三年か二四年ころから簿外の現金および棚却資産が増加し、被告会社設立当時には、簿外財産中現金については六、〇〇〇万円を竹ごおりに詰めて所持していたこと、およびその札の種類、枚数、保管状況等について具体的に挙示説明し、また簿外棚卸については約三、〇〇〇万円所持していたと述べ、右現金は、被告会社を設立した昭和三三年九月から同三六年末頃までの間に順次銀行に定期預金や普通預金をするようにしたものであると供述していたものであるが、公判廷において右のような供述をにわかに翻して、会社設立のときは裏の棚卸が六、〇〇〇万円から七、〇〇〇万円位あつたもので、六、〇〇〇万円の現金を竹ごおりに詰めて自宅などに所持していたことはなかつたと供述するようになつたのであり、そこには一貫性がない。このように被告人が供述を変更したのは、現金六、〇〇〇万円の所持なる弁解が甚だしく非常識で何人に対しても到底納得させ得ない虚偽のものであることが余りにも明白であること、会社設立時の簿外資産につき合計九、〇〇〇万円から六、〇〇〇万円に変更したのは、本件査察着手(昭和三七年五月八日)後、銀行調査の結果簿外銀行預金が合計九、〇〇〇万円存在することを査察官が把握しているのを知つた被告人が、右銀行預金を自己の所有に帰属する旨主張するため、右銀行預金に見合う九、〇〇〇万円の簿外資産の持込を主張していたところ、公判廷においては本件逋脱所得額が六、〇〇〇万円であることを知つてこれに見合う持込棚卸額に弁解を変更したものと推察され、このように重要な持込資産額、その資産の形態について弁解を簡単に変更していることは、とりもなおさず簿外棚却資産の持込についての被告人の公判廷における供述が虚偽であることを物語つているというにある。

よつて右所論にかんがみ記録を検討すると、確かに持込資産の金額およびその形態について、被告人の弁解が、所論指摘のように重大な変更があり、なかでも会社設立当時に現金六、〇〇〇万円を所持していた旨の捜査段階における被告人の弁解が何らの証拠なく容易に首肯しがたく、虚偽の事実を述べたものと認められるが、そもそも被告人が虚偽の供述をしていたのを訂正したからといつて、訂正後の供述が虚偽の事実を述べたものであるとすべき論理的根拠は全く存在しないし、検察官の右所論の趣旨が被告人の捜査段階における持込資産に関する供述のうち現金の所持についての供述は虚偽であるが、持込棚卸資産が三、〇〇〇万円であつたとの供述部分のみは真実を述べているとの前提に立つものとすれば、右前提は検査官の原審および当審における被告会社設立当時持込資産は存在しなかつたとの検察官主張と矛盾するのみならず、被告人の捜査段階における弁解のうち一部を虚偽であるとし、一部を真実であるとするに足る理由について、所論は何ら言及していないのであつて、容易に採用することはできない。被告人の原審公判廷における新たな弁解が信用するに足るものであるか否かは、右弁解に関する証拠価値等を考慮し別個に検討すべき問題であつて、所論のように供述の変更の事実をもつて新供述が信用するに足りないなどということはできない。

(二)  山野辺実の供述および月別試算表について

(1) 所論は、持込資産の存在に関する被告人山崎の原審公判廷における供述が虚偽であることは、被告会社における地位、役割、その記載内容、供述の経過から見て信用するに足る山野辺実の昭和三八年七月二日附、同三八年七月二九日附各検察官調書からも明らかであり、また右各供述調書により認められる作成目的、作成経過、記載内容およびその形式、さらには原審証人木村裕の証言により正確に記載されたものと認められる月別試算表(証第一〇〇号)、同表の内訳明細書(証第一〇一号、第一〇三号)、昭和三三年分所得税青色申告決算書(証第一〇二号)と対比しても明らかである。しかるに原判決が右山野辺調書の証拠価値を認めなかつたのは、証拠の取捨選択を誤まつているという。

よつて右所論にかんがみ、先ず山野辺実の検察官調書および月別試算表の信憑性について検討することとし、右山野辺実各検察官調書を見ると、たしかに、山野辺実は検察官に対し、「山野辺実は、昭年二八年から被告人の依頼で、青色申告を始めた山崎メリヤスの経理の仕事を手伝い始め、棚卸もやつてはいたが、昭和三〇年頃から同三三年末頃までの間は特にひんぱんに棚卸をするようになり、殆んど毎月これをしたこと、そのように棚卸をひんぱんにするようになつたのは、それ迄は被告人が自分自身で営業財産の状態をほぼ正確に把握していたが、営業規模が大きくなるにつれそれが難しくなつたので、被告人が山野辺たちに対し毎月棚卸も正確にやつて損益を明確に出すように求めるようになつたためであること、従つて棚卸を含めてその当時やつていた決算関係はすべて被告人に会社の状態を知つてもらうための資料で、税務署等対外的に使うべきものではなく、正確に山崎メリヤスの財産状態を記載したものであること、なかでも会社設立前後の各月の棚卸表の在庫品の記載は正確で脱洩があるとは思われないこと、昭和二九年頃から山野辺は被告人に対し、取引先に対する対面からも経理面をはつきりさせるためにも会社組織にするようすすめていたが、被告人は売上にしても機械にしても公表帳簿を通さないで裏に廻していた分があり、会社組織にして個人財産を会社に引継ぐ際、その裏分がばれるおそれがあつたので、除々に裏分を少なくして公表分との差をなくするための期間が欲しくて会社組織にするのを渋つていたが、昭和三三年八月一五日になつて表と裏との差も殆んどちぢまつてしまつたということで株式会社山崎メリヤス設立のはこびとなつたこと、会社設立時における社長個人の財産の引継分は機械および保原町九丁目にあつた旧工場の土地建物を除いて公表分の資産、負債ともに昭和三三年八月三一日現在の社長個人の財産を会社が引継いだこと」を述べていることが認められ、また右各供述は月別試算表等を資料としてなされたものであることも該調書上明白で、右山野辺各検察官調書記載が信用に値するとするならば、所論はまさに理由があるというべきであろう。

しかしながら、右山野辺検察官調書をさらに検討すると、山野辺実の昭和三八年七月二日附検察官調書によれば、実際の棚卸表作成の経過は、原料、製造等の各現場で先ず数量のメモを取り、これを専務(山崎隆子)の助手の方に廻してそこで棚卸調書に写しとり、次に専務が評価をして単価を記入し、これを経理の山野辺の方に廻し、経理の方では位取りの正確さや計算違いの有無を確かめてこれを栗林税理士の方へ廻すようにしていたというのであり、また山野辺実の同三八年七月二九日附検察官調書によれば、昭和三三年(以下同年)三月三日附、四月四日附、五月四日附、五月三一日附、六月三〇日附、一二月三一日附の各月別試算表中の棚卸表の文字は専務、または製品、半製品、原料の各担当者によつて大部分が書かれているというのであるから、右各記載からも、月別試算表中の棚卸表の実質的記載は山崎隆子によつてなされたもので、山野辺実は棚卸表の正確なことについて明言できる立場にはなかつたといえるだけでなく、右棚卸表が税理士に廻されたという点をも考慮すると同表が全く対外関係を考えていなかつたとの供述についても矛盾が存し、対外関係を顧慮したものではないからあえて虚偽の事実を記載する必要がないとして、右棚卸表の正確性の根拠とすることにも疑いが生ずる。所論は右月別試算表の内訳明細である原料の棚卸調書の記載が正確であることの立証として、原審第六回公判における証人木村裕の証言を援用するが、右証言は、木村裕自身が担当した棚卸調書が正確であると述べる一方、山崎メリヤスの生産にとつて重要な地位を占める染色後の編み立て外注、縫整外注工程に入つている品物については棚卸表に記載していないとも述べているのであるから、右証言を以て月別棚卸表の記載が正確であることの根拠とすることはできないばかりでなく、さらに後に検討するところにより認められる社外倉庫の存在の事実と対照すると、むしろ月別試算表記載棚卸高が過少であることを認むべき証拠となるとさえいえるのであり、到底月別試算表の正確性を支持する証拠とすることはできない。山野辺実はまた昭和三八年七月二九日附検察官調書において、月別試算表記載の昭和三三年八月末の約二、〇〇〇万円の棚卸額が妥当であり、その外に三、〇〇〇万円相当もの在庫品がなかつた旨供述し、その理由として、当時は保原町九丁目の旧工場時代でそこに五、〇〇〇万円もの在庫品を置くことは不可能ではないにしても著しく困難であると述べているが、右供述は後に検討するところにより明らかな山崎メリヤスの生産が外注に大きく頼つていた事実を軽視しているだけでなく、原裁判所の昭和四一年九月六日附検証調書、伊藤ウメ、佐藤幸、梅津一郎に対する各証人尋問調書、証第三五号、証第一八六号により認められる被告会社設立以前にも、山崎メリヤスでは社外倉庫として近所の土蔵等を借受け使用していた事実をも無視しており、これまで検討して来たところを総合すると、月別試算表記載の棚卸額については、先ずその計算の基礎となる仕掛品、半製品の種類、数量の把握について不完全であつた疑いが濃く、次にその評価について山野辺実の供述が正確であるというに足る根拠に乏しく、正確を欠いたものである疑いがあり、右月別試算表が正確であるとする山野辺実の前記検察官に対する各供述内容もその根拠に乏しいものといわねばならない。

(2) 次に所論は、原判決が月別試算表に持込棚卸資産の記載がないからといつて直ちに持込資産がなかつたものと速断することはできないと判断したのは、被告人の原審公判廷における供述、証人山崎隆子、同山野辺実の証言を、右証人らと被告人および被告会社との関係や右各供述間の矛盾等を考慮せず無批判に採用したが故であり、右証言等は措信できないものであると論難する。

よつて所論にかんがみ記録を検討するに、先ず所論は被告人の原審第三二回公判廷における供述の一部(五〇四二丁以下)を取り上げ、月別試算表の作成目的について、同表が会社の実態を把握するため、被告人が山野辺実に命じて作成せしめたとの前提に立つ検察官の質問に対し、被告人が曖昧な返答をしているというのであるが、被告人の右供述をさらに検討すると、被告人はすでに右試算表は被告人個人から被告会社に持込んだ資産を何らかの形で被告人個人に取戻すよう工作していた旨を供述しているのであるから、これと前提を異にする検察官の質問に対して明確に答えなかつたからといつて、直ちに事の真相を隠蔽するに出でたものとはいえず、また所論は原審第三三回公判廷において月別試算表の作成を啓告人が命じたか否かについて、被告人が「会社は別に社長が作れといわなくても担当者は自分でその分野のものを作つたりなんかするんですが。」と答えている点(五〇七〇丁裏)を取上げ、右は山野辺実の原審第一一回公判廷における「試算表は裏と表を合わせた会社の財産状況を被告人に報告するため、被告人の命により作成した」旨の証言(一二七一丁)および原審第一五回公判廷における証人山崎隆子の同旨の証言(一七八一丁以下)と矛盾するとするも、先に検討した右試算表の根拠となる棚卸分について山野辺が関与していない実状と照らすと、説得力に乏しく容易に首骨することができない。

また所論は証人山崎隆子の証言について、同証人は原審第一八回公判廷において、右月別試算表の棚卸の正確性について、右棚卸表の棚卸は、記帳面で多少の利益があがる程の額を山野辺に聞いてその金額に応じて棚卸資産から簿外とする分を抜いて、その結果を山野辺に報告し、同人がそのまゝ試算表に記載したもので、試算表の棚卸の記載は真実でない旨証言している(二八五〇丁以下)が、検察官から何故棚卸の額だけを少なくした試算表を作成する必要があつたか追及されるや、山野辺から試算表の形がよくなるようにといわれたから、とか、そのよう形の数字に直す必要性について、経理の先生に見せるための下書きでも作つているのではないかと感じていた(二八九九丁以下)、と証言を変更したりして、場当りの供述をしていることがうかがわれ、しかも国税査察官に対する昭和三七年七月五日附質問てん末書(五六七一丁以下)においては、右月別試算表を示されて取調べを受けるや、「こういうものは残つていないと思つていました。山野辺か私が見つければ整理してしまつたのに全くへまなことをしました。これは外部に出すものではなく、社長に報告するために作るもので、その目的さえ果せば必要がないのです。」などと、述べていて、山崎隆子が月別試算表、棚卸調書を示され、これらが押収されていることを知つて驚くとともに困惑していたことを示す自然な供述であることが明らかで、前記山崎隆子の原審公判廷における証言が虚偽であることを示すものであるという。

しかしながら、前記質問てん末書をさらに見ると、山崎隆子は月別試算表添付の棚卸表の正確性については、依然として、査察官の「そうするとこの棚卸高は正しいものですね」との問に対し、「現場からきたものを抜くこともあり得ることです。」と答え、さらに査察官の「この内訳表は一枚目から通し番号がうつてありますからもし抜いたとすれば一番最後のですか。」との問に「裏の分です。」と答えていることも明らかで、持込資産の存在については査察当時から山崎隆子は主張し、原審公判廷においてもこれを維持しているものであるから、右山崎供述の矛盾をとらえて、山崎隆子は査察当時には持込資産はなかつたと認めていたとすることもできない。

以上の次第で山野辺実の昭和三八年七月二日附、同年同月二九日附各検察官調書が信用するに足り、従つて月別試算表に記載のない棚卸資産が存在しなかつたことは明白であるとする所論は採ることができない。

(三)  企業診断書(証第一〇五号)について

所論は、昭和三三年九月当時被告人ら主張のような巨額の棚卸資産はなかつたことは、昭和三二年度に山崎メリヤスに対して行なわれた福島県の企業診断書(証第一〇五号)および昭和三二年度分所得税申告書から認められる昭和三二年一二月三一日現在の簿外資産が一一〇万円余にすぎないところからも認められるのに、原判決が右企業診断書中に「会社提供のデーターは粉飾されている点があり企業の実体を判断するのは当を得ないところがある。」との記載があることや、証人伊藤栄一の被告会社の原料、仕掛品については極めて少なく計上されている旨の証言により、原判決が「企業診断書は持込資産が存在することの裏付けにこそなれ、不存在を立証するための証拠とはなし難い」としたのは、企業診断書の性格、伊藤栄一証言の信用性について判断を誤つているというにある。

よつて所論にかんがみ記録を検討することとし、まず企業診断書(証第一〇五号)を見ると、右書面には原判決も指摘するように、会社提供のデーターが粉飾されているとの指摘がなされているのみならず、帳簿組織が税務対策を主眼として総括的に各科目を総合して一定期間の損益を算出しているに過ぎない旨の被告会社提出のデーターが真実を出したものでないと診断員が疑いを持ちながら、山崎メリヤス提出の不十分なデーターに基づいてしか診断できなかつた事情をうかがわせる記載もあり、このことは棚卸資産中に地方売り用の商品の記載が全くなく、また企業診断員にとつても当然関心を持つ工場流動量を算定するデーターが出ず聴きとりによつてようやく推認している旨の記載からもうかがえるのである。所論は 伊藤栄一の原審第二〇回公判廷における証言中右診断の際の資料の正確性について確言していない部分(三二〇丁以下)は、同人の検察官に対する昭和三八年八月七日附供述調書記載と矛盾し、同人が本件診断後経営コンサルタントとして被告会社の経営に関与していることも考え合せることも考え合せると措信しがたいというが、右検察官調書はさらに検討すると、同人は、企業診断書記載の原材料費には不審な点があることも指摘し、棚卸高が更に多くなければならないとも供述しているのであるから、右所論は採ることができない。なお所論は企業診断では、企業の損益勘定に直接関係のない簿外預金よりもむしろ棚卸資産の在庫高およびその回転率の算出が重要な事項であり、被告人の弁解のように約六、〇〇〇万円近い簿外資産が存在したが、企業診断の際にはこれを診断員に隠蔽していたというなら、企業診断の目的は全く果せないことになるし、また山崎メリヤスでは簿外の秘密預金さえ診断員に提示して診断を求めているのだから、棚卸だけを粉飾する理由はないという。しかしながら、企業診断では原材料、製品、半製品について直接棚卸をさせることはしていないのが一般であり、山崎メリヤスの診断においても山崎メリヤスから提出された資料に基いてしたものであり、企業診断員としても、山崎メリヤスが生産工場である点から見ると、原料、仕掛品が極めて少ないという感想をもつたという事実が原審第二〇回公判廷における証人伊藤栄一の証言によれば明らかであるから、所論のように企業診断の理想像を基準として、本件企業診断も正確であつたとすることはできず、以上検討していたところを総合すると、本件企業診断の結果を基礎として、山崎メリヤスに公表外の棚卸資産がなかつたということはできない。

二、昭和三五年八月三〇日附貸借対照表(証第四一号の一)および棚卸表(証第二一〇号)について

所論はこれを要約すると、原判決は右貸借対照表および棚卸表の記載は、昭和三五年七月末の棚卸資産の総額を示すものと認定し、これにより被告会社の第二期末現在の公表外棚卸資産の推定計算を行ない、約四、六〇〇万円ないし五、九〇〇万円の簿外棚卸資産が存在すると認定したが、右認定は(一)前記貸借対照表および棚卸表の正確なことについて、これを認めるに足る証拠がないのにこれを正確なものとし、(二)右棚卸表の記載表の記載内容を検討すればその記載が不正確かつ過大なものであることが明らかなのに、この点について検討することなく、(三)かつ右推定計算の過程にも誤りがあるもので、採証の法則に反し、事実を誤認しているものであるというにある。

(一)  よつて右所論の第一点について考えると、昭和三五年八月三〇日附貸借対照表(証第四一号の一)および棚卸表は、ともに昭和三七年五月八日、被告人宅において査察着手と同時に押収されたものであり、その作成日附(実際の棚卸の計算は原判示のとおり昭和三五年七月末日現在のものにつきなしたものと認められる。)と押収日との関係、また右各書面起載の棚卸高が特に公表すべきことを予定していた形跡のないことから見ると、現実には存在しない棚卸資産を存在するものとして記帳すべき理由は記録を精査しても全くなく、少なくとも右各書面に記載された程度の棚卸資産が存在したことを立証するに足るものといわねばならない。

(二)  所論の第二点は棚卸表(証第二一〇号)の記載内容を検討すると、右棚卸表には、(1)証第一〇六号の七の棚卸表により算出した平均単価と対比すると、仕掛品、半製品において約五八〇万円、製品において、約五〇〇万円の各過大評価がなされていることが窺われ、(2)証第二一〇号の棚卸表の原料の部には染工場在庫のカシミロン一三、四七六、〇九八円および旭化成返糸一、八五四、八四六円が計上されているが、右原料糸であるカシミロンは当時染色上の欠陥があつたため、被告会社では染色の結果が良好なものだけを仕入れに計上する扱いとなつていたとこは、染工場在庫分についてはこれに対応する仕入が計上されていないから、七月三一日現在の棚卸高に計上すべきではないし、旭化成返糸分については右取扱いに照らすといまだ買入れがないものであるから、やはり七月三一日現在の棚卸高に計上すべきものではないというものである。

(1) よつて証第一〇六号の七の棚卸表(昭和三五年八月末日現在)を見ると、同表には所論のとおり仕掛品、半製品ごとに単価が記入されており、手維部、縫製部、中食、発送部にそれぞれ在庫する数量で各部在庫金額を除した平均単価を算出すると、手維部在庫品は五八三円、縫製部在庫品は六五六円、中倉在庫品は七五〇円、発送部在庫品は五四二円となり、証第二一〇号棚卸表記載の単価と比較すると、証第二一〇号棚卸表記載の単価の方が大きくなつていることが認められる。しかしながらさらに右各棚卸表を検討すると、第二一〇号の棚卸表では商品と仕掛品、半製品が区別して記載されているのに対し、第一〇六号の七棚卸表の手維部、縫製部、発送部の在庫中には第二一〇号の区分に従えば商品として別途計算すべき子供セーター、子供ズロース、七分ズロースが含まれ、これら商品を除いて平均単価を求めると、右各棚卸表の平均単価はさしたる差はないのであるから、証第二一〇号棚卸表の仕掛品、半製品について必ずしも過大評価がなされているとはいえない。

また第一〇六号棚卸表によれば、輸出部製品棚卸について、ポーリー分の単価(一ダース当)九、四七〇円、ダンスレート分の単価(一ダース当)一四、八九四円となつているのに対し、第二一〇号棚卸表によれば、その各単価はボーリー分一〇、七二二円、ダンスレート分一六、三二七円となつていることが認められ、所論は右のように第二一〇号棚卸の単価が高くなつているのは売価により評価してくるもので過大評価であるというが、第二一〇号棚卸表の右記載から、輸出製品が売価により計算されているとはただちに認め難く、かつ右各棚卸表の製品が同一品種であるとも認められない点を考慮すると、右製品についての第二一〇号棚卸評価がただちに過大評価であるとは認め難く、しかも第一〇六号の七の輸出製品の評価はその記載から見て、右製品生産に要した費用(管理費用すら計上していない)のみを単純に集計したものであつて、加工による付加価値を全く含めていない点をも考慮すると、その計算が不当であるとの結論を引き出すことはできない。

(2) 次に染工場在庫のカシミロン及び旭化成返糸分を七月三一日現在の棚卸高に計上したことの是非について検討すると、記録によればたしかに当時カシミロンには染色上の欠陥があつたため、当時被告会社と株式会社蝶理との間では、カシミロンについて試験売買的な取引が行なわれ、旭化成(カシミロン製造者)が出荷したカシミロンが被告会社の下請染色工場(武藤染工場)に入荷しても、被告会社では染色の結果が良好なものだけを仕入に計上し、染色以前のカシミロンについては買入れたとの認識をもつていなかつたことが認められるところ、所論は右事情を前提として、蝶理株式会社昭和三五年度売掛金元帳(証第一二九号)によれば、同年一〇月二〇日附欄に同年五月に出荷した一三、二三六、〇〇〇円が計上されているにもかかわらず、被告会社では仕入計上していないことを理由として、証第二一〇号記載の染工場在庫分は七月三一日附の棚卸表に計上すべきでないというのであるが、証第二一〇号と証第一二九号とを比較検討すると、証第一二九号のカシミロンの単価は一、一〇三円であるのに対し、証第二一〇号の同単価は一、三二三円となつていて染色加工による単価の差が生じていることがうかがわれる上、証第二一〇号に染工場在庫分として記載されたカシミロンが蝶理から五月に出荷されたものに限られると認めるに足る証拠はないのであるから、右所論も採用し難い。

次に所論は証第二一〇号記載の旭化成返糸分について、これを棚卸資産に計上するのは不当であるといううのであるが、これまた右返糸分の単価が高く計上されていることから見ると、染色が一応成功したか、あるいは染色工程が終り一応仕入れがあつたものとして計上したもののその後の工程において不満のあることが判明したため返糸予定となる可能性もありうることであるから、この点についても所論はただちに採用し得ない。

(三)  所論の第三点は、原判決は昭和三五年七月末現在の棚卸資産額(証第二一〇号に基づく)から同年八月末現在の棚卸資産額を算出するにあたり、前記カシミロンの帳簿処理が、被告会社と蝶理において一致しないため、被告会社の仕入帳(証六九号)と蝶理の売掛金元帳(証第一二九号)とを対照し、被告会社の昭和三五年八月の原料購入でありながら、翌朝の昭和三五年一〇月三〇日の原料購入高として仕入帳に記帳されている合計一一、〇四三、七〇〇円があるので両者を合算したもの、および被告会社の同年八月の原料高については、元帳(証第一二号)の記載どおりでない可能性があるので、蝶理の売掛金元帳に計上されているが、被告会社の仕入帳に計上されていないもの合計一二、八六二、九五九円を右元帳の原料購入高と右一一、〇四三、七〇〇円とを合算したものに更に加えたものの二通りの額を基準にして推計し、同年八月三一日現在には、四、六〇〇万円ないし、五、九〇〇万円の公表外棚卸が存在し、さらに被告会社の第一期、第二期を通じて公表外の仕入をした事実を認めるべき証拠はないから、これは第一期首の持込資産に由来するとしか説明できないと判示するが、原審の右推算方法によれば、(1)被告会社の公表帳簿上では昭和三五年八月末に仕入処理をしていない右カシミロンを同月の仕入に計上するのであるから、同年八月末に公表外仕入が発生し、これに対応する棚卸漏が発生することになるに過ぎず、持込資産の算出とは全く関係がなく、(2)持込資産とは関係なしに公表仕入額からなる期末在庫の一部を公表外棚卸とすることは脱税の方法として通常行なわれることで、原判示のように簿外仕入がないから第一期首の持込資産に由来するものとしか説明できないとするのは独自の理論であるというにある。

よつて検討するに、(1)昭和三五年七月末日における棚卸資産を基礎として、同年八月末日における棚卸資産を算出するには、七月末日における棚卸資産に八月末日までの増減を算定の上加減することにより得られることは、まさしく原判示のとおりであり、(2)被告会社において、第二期中に公表上の期末在庫からその一部を公表外棚卸にしたという立証は全くないのであるから、所論は前提を欠き採用しえない。

以上検討してきたところを総合すると、原判決が昭和三五年八月三〇日附貸借対照表(証第四一号の一)および棚卸表(証第二一〇号)を基礎に、これらが実際は昭和三五年七月末日の棚卸資産の総額を示すものと認定し、これにより被告会社の第二期末現在の公表外棚卸資産の推計を行つた過程はこれを肯定しうるもので、所論のように誤りがあるとすることはできない。

三、 被告会社のデザイン帳(証第一三二号ないし第一三八号)を基礎とする持込棚卸資産の推定計算について

所論は原判決が被告会社のデザイン帳に記載された製品と被告会社第一期首、期末の棚卸製品、半製品、および期中の売上製品とを結びつけて、これらをすべて一旦原料糸質消高に換算し、糸種類別に公表外期首持込分および期末棚卸洩れ分を把握し、これらを集計して、第一期首公表外の原料糸換算持込分三九、一九三、八七〇円および第一期末公表外の原料換算追加洩れ分四三、四八五、三九一円が存在する旨判示した点について、右の原料糸換算高を正確に算出するには、(一)期中における各月別原料糸仕入高の集計が正確になされていなければならないところ、原判決では昭和三三年一一月仕入分のうち支払手形決済分五、七〇五、〇五五円(染色加工費を加算し六、一〇九、七二〇円)および同三四年八月仕入分一三、二三三、八〇〇円をいずれも糸種類不明の仕入と認定して処理しているが、右はいずれも証第一九六号によれば糸種類が明らかであるから、右原審認定には誤りがあり、(二)原判決は仕入高の算出にあたつては原料糸費消高に染色加工費が含まれていることから原料糸仕入高にも染色加工費一二、五一五、〇六〇円を糸種類の仕入高に応じて按分加算しているが、染色加工費は糸種類、加工ロットによりその金額を異にするだけでなく、仕入糸が全て更糸であることを認める証拠はなく、(三)デザイン帳記載のとおり原料糸が費消されていることが、右推定計算の正確なことの前提となるところ、売上製品とデザイン帳記載の製品との結びつきについて正確であるとも、合理的であるともいえないから、デザイン帳によつて被告会社の原料糸費消高を算出することには合理性がないという。

(一)  よつて右所論にかんがみ証第一九六号(仕入先別買掛金帳)を検討すると、原判決が糸種類不明の仕入と認定した昭和三三年一一月仕入分の一部のうち、品名2/26、2/42、カシミロン合計三、九九三、〇七〇円、同三四年八月仕入分のうち品名シロツブシヤ、2/24、2/20、2/32、シヨールヤーン合計九、五三九、五九〇円については、糸種類およびその金額が所論指摘のとおり明らかとなり、この点では所論も理由なしとはいえない。所論は右認定の誤を前提として、鑑定人玉山勇の鑑定報告書二六ページに問題点として、前記糸種類不明分の糸種類が判れば期首持込糸換算棚卸高の計算は変つてくる筈であり、またこの部分は当然公表期末棚卸高に含まれている筈であるから、これを期末加算分に計上することは、同一金額を重複計上する結果となるとしている点を援用し、原判決の計算を批判するが、原判決は右重複計算を避けるための方法として前記鑑定報告書が採用している昭和三三年一一月仕入分のうち糸種類不明分については、糸種類不明の期中原料糸と相殺し、残額はすべてが糸種類不明の昭和三四年八月仕入分と共に期中糸種類別仕入金額に按分配賦しているのであつて、糸種類判明仕入分と糸種類不明仕入分とが期末棚卸高の算出にあたつて重複計算がなされるとする理由はないし、また原判決が糸種類不明として算定した棚卸高が糸種類が判明したとして計算を訂正したとしても、その再計算により棚卸高がどの程度減少するかについては全く所論は触れず、ましてや簿外棚卸資産が全く存在しないとするに足る根拠とすることも前記計算過程と考え合せるとできないから、原判決に所論指摘の不備があつたことを考慮しても、デザイン帳によつて原料糸費消高を算出することについて合理性がないとする有力な論拠とすることはできない。

(二)  次に染色加工費の加算について原判決認定を非難する所論については、弁護人は所論のいう「更糸」が何色にも色付されていない糸のことであれば、これはメリヤス業界でいう「生地糸」であり、また「晒糸」のことであれば、これは生地糸を「白に染色した糸」のことであるから、何れにしても所論にいう「更糸」が何を意味するか不明であり、かつメリヤス業界にいう染色加工は単に色付けすることだけをいうのではなく、糸についた油やよごれ等を洗い落す「洗い」あるいは糸や製品に風合を出すための「縮籤」をも含めたことを呼称するものであるから、生地糸で購入した糸を何色にも染めない場合でも、染色で購入した場合でも必らず「洗い」あるいは「縮籤」のための染色加工をすることがメリヤス業界の一般常識であると反論するところであるが、右反論はこれを一応肯認することができ、右反論を覆するに足る証拠は全く認められないから、仕入糸中に「更糸」があることを前提とする所論は採るを得ず、また染色加工費が糸種類および加工ロットによつてその金額を異にする点を前提とする非難も、糸種類および加工ロット毎の染色加工費およびその数量が一々明らかになつておらない本件においては、次前の計算方法として、仕入金額に応じて按分配賦したことはこれを是認しうるものといわねばならない。

(三)  所論は、デザイン帳と売上製品の結びつきが正確になされていることが、原判示推計が正確であるための前提であるとして、先ずデザイン帳の記載自体に売先、糸種類、糸使、製品単価が記載されているものについては製品との結びつきに問題はないが、右四項目のうち一項目についてでも記載の欠けたのは売上製品との結びつきが不可能であるのに、糸単価から糸種類を推定したり、デザイン帳の前後を参考にしたりして糸種類を推定し、あるいは製品単価によつて取引先を推定したりして作成した「取引先別、月別、品名品番別原料費消高算出明細表」(記録第一九冊、六一九九丁表、弁護人最終弁論補充説明書(1)別紙修正第四表)、「月別、原料別費消高集計表」(記録第一九冊、六二五五丁表、同別紙修正第五表)は不完全なものといわねばならない。このことは、デザイン帳に記載された製品の使用糸種別と売上製品の糸種類との結びつきがあるとされるものは、被告会社第一期中の総製品売上高一六二、一三五、〇一五円のうちキヤラバン等三三社に対する売上高一三六、七五六、六一四円だけであること、デザイン帳に記載されたデザイン数一、四一九点中、売上に結びつくデザインが七三一点に過ぎないこと、デザイン帳と結びつきがあつて、糸種類が判明したとされる前記の約一億三六〇〇万円の売上高のうち、デザイン帳には糸種類の記載がなく糸種類が判明しないため糸倉価によつて糸種類を推定したものについては、同一単価の糸種類のものもあり、糸種類推定不可能のものが混在していることからもいえるという。

よつてデザイン帳を見ると、デザイン帳の記載自体から、売先、糸種類、糸使、製品単価すべてが判明しないものが多いことは所論指摘のとおり認められるが、その記載の形態を全体として見ると、それはデザインの記載とともに、原価を算出することを先ず基本目的とし、次いで出荷先、注文量等の心覚えとして利用することもあつたこと、またその記載形式は当初デザイン、および原価の見積りに重きを置いていたメモ的色彩のものから次第に整備され、使用糸、上り目方、仕掛目方、納品先、納品量まで記載する形式となつていることなどの事実も認められる。ところで所論は右デザイン帳に記載された製品と売上製品との結びつきのあるものは、キヤラバン等三三社に対する売上高分に過ぎないことおよびデザイン数中売上に結びつく製品が約半数に過ぎない点をあげて製品とデザイン帳の結び付きが不充分であるというのであるが、修正第一一表の算出は売上金額に六一パーセントを乗じて得たものであり、右六一パーセントの数値はデザイン帳と売上製品の結び付きについて恣意性の介入する余地が少ないと考えられる三三社に対する売上高とそれに含まれる原料糸費消高との比率であるから、三三社以外に対する売上についても、右数値を援用したことについては他に資料のない本件においてはやむを得ない措置として支持するに足る合理性があるといわねばならず(鑑定報告書二八ページ(注4)参照)、また右デザイン帳を見ると明らかに展示用のものとしてデザインされたものや、取引が取止めになつたものも記載されていたり、サンプルの納入のみで製品の納入については記載のないものなども記載されているのであるから、売上げと結びつくデザインが約半数だからといつて、合理性がないとまではいえない。また右デザイン帳は昭和三三年と同三四年の二ケ年にわたるものであるから原料糸単価を固定したものと見る所論も採ることはできない。

次に所論は修正後第一一表の原料糸簿外算出表にアンラムとアンゴラムが異種類の糸として集計されているが、右両者は同一糸種類であるように記載されていることをとらえ、右のような集計がなされている同表は合理性がないことを示すというが、同一種の糸を異種の糸と誤つて集計したからといつて棚卸資産の総額に変更を生ずるわけではないから右所論は当を得ず、また弁護側が修正第五表第三表を修正したからこれらに基き修正した第一一表も信用できないようにいう所論は、それ自体理由がないものといわねばならない。

なお所論は、デザイン帳を基礎とする修正後第一一表が非合理的であることの証左として、当時営業的取引があつたか否か疑問のあるカシミロンが証第一一表中に記載されていることをあげるが、所論が営業的取引がなかつたことを窺わせる証拠としてあげる原審第一三回公判廷における証人府瀬川清蔵および同永島仁平の各証言も、さらに仔細に見ると、昭和三三年前半に被告会社がカシミロンを仕入れた事実はないと認めるに足るものではなく、被告会社と直接取引に当つた蝶理株式会社員であつた原茂の原審第一三回公判廷における証言によれば、かえつて昭和三三年春から被告会社ではカシミロンを蝶理から買入れていたことが認められるから、右所論も理由はない。

(四)  以上所論について検討してきたところからも明らかなとおり、原判決が、他に利用できる資料がないため、デザイン帳に基いて、売上各製品の原料糸費消高を算定してこれを集計し、このうち、デザイン帳と売上製品との結びつきが明らかな三三社売上分の製品に対応する使用糸種類を特定し、被告会社の使用量算出の根拠としたことは是認するに足り、さらに棚卸資産が存在しないことについて立証するに足ると検察官が主張する各証拠は先に検討したとおり、棚卸資産の不存在を認めるに足る証拠としては十分なものではないから、デザイン帳による原料糸費消についての推計に或る程度の推定要素が混入しているにしても、所論においてその推定要素が不合理なものとして排斥すべきものであると主張するだけでなく、これに代る合理的な証拠および方法により別途に原料糸費消高等を算定すべきであつて、ことここに出でず立証不十分に終つたといえるのであり、所論は採ることができない。

四、被告会社のメリヤス製品の必要生産日数について

(一)  原判決の認定の誤の主張について

所論は、これを要約すると、原判決は被告会社のメリヤス製品の生産日数は九〇日以上であると認定し、これを前提条件として被告会社の公表棚卸高をもつては期首三ケ月間の製品売上高を挙げることは不可能であると判示した。左認定に至る過程について、原判決は被告会社のメリヤス製造工程を編み立て以下ネーム付けまで七段階に分け、各段階毎に必要な日数を被告会社の下請人らの証言により認定し、これを合計し、必要生産日数は八四日ないし一九一日となるとし、証人木村裕、山崎隆子の各証言を総合して認定したと説明しているが、右認定は各製造工程を担当する下請業者の証言を検討せず、単純加算したに過ぎず承服できない。すなわち、(1)被告会社の生産形態は受注生産であり、取引先から指定された納期を基準として、下請業者への発注もその数量、各製造工程の期日を指定して行なわれていたのであるから、下請業者である証人の証言に表われた製造期間の日数はその期間内に被告会社に納めるべき数量の発注があつたというに過ぎず、各証言の日数を単純に加算して実際の生産期間とすることはできず、(2)前記企業診断書に生産日数は一五日である旨記載してあることを無視し、被告会社の従業員佐藤カヨの編み立てからでき上るまで一〇日位かかるとの証言を考慮せず、(9)弁護人提出のデザイン帳によれば、原判示認定の前提である七段階の工程が全ての製品について必要なわけでなくボタンのない製品や刺しゆうのない製品などが混入していることを考慮しておらず、(4)被告人の第一期首に持込んだ六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円の簿外棚卸は被告会社の第三期末までに全額回収し、同期末には簿外棚卸は存在しなかつた旨の供述と玉山勇作成の鑑定報告書および〓の第一一表によつても同期末になお簿外在庫が存することとも矛盾し、原判決が必要生産日数についての認定を誤つたことが明らかである、というにある。

(1) よつて、先ず被告会社の生産形態および下請業者の製造状態について検討すると、原審における証人山崎隆子、木村裕、須賀五郎、菅野トヨ、赤間きよ子、一条コト、山野辺博、菅野キヨ子に対する昭和四一年八月二日附各証人尋問調書によれば、被告会社では昭和三三年当時納期を指定されて取引先から注文を受け(但し納期の指定について被告会社では営業の係から製造の係へ連絡を取り、取引先の指定期日を受けられるか否かを確かめた上、交渉決定していた)、右納期を基準として、下請業者への仕事の配分を行なつていたこと、下請業者は一スタイル毎に定められた納期があると意識することなく、被告会社から受取つた仕事を自宅で行なつたり、或いはさらに右下請業者の下請をなす者(ほぼ内職程度の規模である)に配分し、仕上つた分を集め、これを被告会社から集荷に来た者に渡すとか、自ら被告会社に届けるという方法を取つていたことが認められる。以上の事実を基礎に所論の当否を考えると、確かに下請業者の各仕事の所要日数に関する証言は、その期間内に被告会社に納めるべき数量の下請受注があつたという意味に解すべき余地があり、この各証言の日数を合計したものをメリヤス製品の実際の生産期間とするには疑問があるといわねばならない。

しかしながら、被告会社から下請業者への仕事の配分なる作業について更に考えて見ると、前記山崎隆子の証人尋問調書および原審の昭和四一年九月二九日附検証調書(三〇一七丁以下)によれば、被告会社では秋冬物については当年の三月ないし五月に生産が開始され、当年の一一月までその生産が続くことが認められるのであるから、取引先の納入指定期日が必要生産日数とほぼ一致するのが通常の形態であるとは認め難く、また前記各下請業者の証言によつても、注文一口毎に仕事が終り次第、その終了分を被告会社に納入するというものではないのであるから、その滞留分が有をべきことは当然推認され、このことは被告会社の下請業者が特定の技術を有することを求められ、被告会社が一定の数の下請業者を保有しておくことがその営業の継続のよめ必要であり、そのためには下請業者に対する仕事はできる限り一定量を継続して与えていくことが望ましいことからもうなずけるところである。以上の事実をも勘案して前記下請業者の各所要日数に関する証言を考えると、右日数に関する各証言はメリヤス製品の実際の生産日数を証言したものではないと解する余地もないわけではないが、滞留日数をも含めた意味での生産日数を証言したものとして、これを信用することができ、しかも前記各証人尋問調書をさらに検討すると、被告会社が取引先から注文を受け、取引先に製品を納入するまでには、所論指摘の七段階の製造工程の前後に素材の研究決定、見本作成、原料仕入、染色の過程並びに検品仕上、梱包、発送の過程が必要であり、また下請業者間の半製品の移動が必要なのであつて、これら被告会社の活動全体を俯瞰し得る立場にある木村裕および山崎隆子の各証言(前記証人尋問調書記載)は特に反証のない限りこれを信用して然るべきもので、右各証言により認めらたる必要生産日数よりもこれを内輪に見積つた原判決の認定は肯認されて然るべきである。

(2) 次に所論は企業診断書および佐藤カヨの証言を根拠として、原判決認定を非難するが、企業診断書の生産日数に関する記載はその記載自体からも窺われるようにその根拠に乏しく、かつ企業診断首記載全体についても信憑力に乏しいことは先に検討説明したとおりであり、所論引用の佐藤カヨ証言も、同人の昭和四一年八月二日附尋問調書および原審第七回公判廷における証言をさらに検討すると生産過程のうちの極く一部である編み立て工程のみの必要生産日数を述べた疑いが強いから、採用できない。

(3) また所論は被告会社の全製品についてボタン付けおよび刺しゆうがなされるわけではないとして、必要生産日数についての原判決認定を非難するが、前記各証拠により認められる必要生産日数から右ボタン付け工程等の必要日数を差引いても、もともと原判決は下請業者に委ねられる工程部分のみについてさえ最低八四日を必要とするとした上で、必要生産日数は九〇日としているのであるから、その前後の工程の必要日数を考慮すれば、全体として必要生産日数を九〇日とした原判決認定はこれを動かすに足りない。

(4) 最後に被告人弁解と鑑定報告書および修正後第一一表との間の矛盾に基づき生産日数の認定が誤つているとする所論について考えると、鑑定報告書の作成者玉山勇の鑑定証言によると、簿外棚卸が第三期末にも残存することとなつた理由は、生産日数(鑑定報告書では五〇日としている)のくいちがい、原料糸換算の受払計算に用いた諸比率のくいちがい等による誤差の巾であるとしておるのであり、修正後第一一表の右誤差の巾はさらに少くなつておることから見ると、第三期末における簿外棚卸は第二期および第一期に再配分洩れとして処理すれば足るものと認められ、ただちに生産日数に結び付くものとはいえない。所論は採るを得ない。

(二)  検察官の生産期間に関する主張について、

所論は要するに、(1)昭和三三年八月当時の被告会社の製品、売上の形態、原料仕入と染色期および売上との関係、その他の物証を検討すると、当時の被告会社の生産必要日数(原料糸入荷から売上実現まで)は二〇日ないし三〇日と認められ、(2)被告会社設立期首の棚卸につき原判決は自社製品一八九、〇〇〇円など公表棚卸高(被告人山崎の個人資産の公表引継資産)の内訳をそのまま引用しているが、証第一〇二号昭和三三年分青色申告決算書添附棚卸明細表と対比すると、その内訳構成を異にし、右当時の棚卸には原判決認定よりも多額の製品(三、八二七、九〇〇円)外注工場分(八八二、二五〇円)、仕掛品(九、〇一五、七八七円)を含んでいたものであり、以上の事情を考えると、原判示による公表棚卸高でもつて設立第一期首三ケ月間の売上げが可能であるというにある。

(1) よつて原料糸入荷から売上実現に至るまで二〇日ないし三〇日をもつて足るとの所論を検討することとし、その根拠とするところを見ると、所論は先ず(A)被告会社では当時ゲージ数が少なく編み方が簡単であるため通常の生産工程の倍以上の能率があがるパルキーの生産が全盛であつたとして、佐藤カヨの原審第六回(第七回の誤記と認める)公判廷における証言を援用し、またデザイン帳(証第一三二号ないし第一三八号)にゲージ数の記載があつてパルキー製品と認められるものをひろいあげ、これに対応すると認められる売上だけでも三〇七件六五、七六九、五八三円に達することをあげている。しかしながら、佐藤カヨの証言によつてもパルキー製品が被告会社製品中どの程度を占めていたかは全く不明であり、右所論に集計してあるデザイン番号と、デザイン帳に記載してある各デザインの作成月日との関係を見ると、デザイン番号九五一番から一一〇〇番までのものには昭和三四年度作成分を含み、一一〇一番以降作成分であることが、右各デザイン帳のとじ込み表紙を見ると明らかであり、被告会社の昭和三三年九月から一一月までのパルキー製品の割合を推定する根拠とすることはできず、記録にわれた被告会社製品の生産期間に関する証拠を検討しても、パルキー製品とその他の製品を区別し、その割合を考慮して、各別に生産期間を推認することのできる証拠はないから、所論指摘のパルキー製品の存在の事実は被告会社生産期間を推定根拠とすることはできない。次に所論は(B)被告会社の売上の形態は、注文品については一つのスタイルの全数量が完成するのをまつて始めて出荷するのではなく、製品ができ次第次から次と発送し、売上に計上されていることが証第一八二号納品書控により明らかであり、弁護人主張のように完成された製品は納期まで相当の日数工場内または工場外の倉庫に保管されたと認めるに足る証拠はないというが、証第一八二号記載のただ一例を以つて、所論のように製品ができ次第発送して売上に計上することが、被告会社の売上げの常態であるとすることはできず、先に検討したところで認めたとおり被告会社工場外にも被告会社が倉庫を借り受け使用していた事実は、被告会社製品が納期まで保管されていたことを推認するに足る証拠というべきである。更に所論は(C)メーカーから仕入れた原料糸は同日か翌日、染色委託して、染色は早いもので一日、平均七日で被告会社に納品され、編み立て外注にまわされていたことが当審において提出した証第二一七号武藤染工カルテ、同一九六号仕入帳により明らかであるとし、昭和三三年一〇月一二日兼松商店から仕入れた原糸2/22、一、〇二七ポンドは武藤染工場に直送し、染め上り次第外注にまわされたことがわかるというのであるが、右証第二一七号記載を見ると、外注先まで武藤染工が把握しているのは九六件中わずかに二件であり、しかも後に検察官が被告会社 設立期間における棚卸の内訳として主張する棚卸高をそのまま引用するとしても原料が一、六七一、一四三円も棚卸高にあつてその製品に対する割合は約四一パーセントにも及ぶこと、染上り糸の検量検品等を全く被告会社がすることなく、数ケ所に分れることが普通な外注先にただちに送付することなど通常考えられることではないことなども勘案すると、所論は被告会社における染上り糸の滞留期間を全く考慮していないものといわざるを得ず、採ることができない。また所論は(D)佐藤カヨの証言では編み立てから完成まで一〇日位であるとの証言および企業診断書の生産日数は一五日であるとの記載を援用し、昭和三三年一〇月に仕入れた原料糸は一〇月中に売上製品となり得るとし、右の関係は昭和三三年一月から同一二月までの売上、仕入、棚卸外注費の相互関係をグラフにして見ると、出荷と原材料仕入に対応していること、証第一〇〇号等により認められる公表売上、公表仕入、外注費の相互関連性を見ても明らかであるという。しかしながら佐藤カヨの原審第七回公判廷における証言を検討すると、所論のように同人が検察官の質問を生産期間(編み立てから製品完成に至るまで)について質問と認識して返答しているか否かは疑問があり、企業診断書の記載が根拠に乏しいことは先に検討したとおりであり、所論相関セ係についても公表売上高が同年五月において四七一、〇〇〇円(赤)であることなどから見て、被告会社の売上の実態を示すものとは認め難い数値を使用していること、また先に検討したとおり証第一〇〇号月別試算表が利益調節のため調整された記載である疑いの強いことに徹すると、右相関関係の検討は前提条件を欠き、生産期間を推定する根拠とすることも、生産期間が三〇日以内であるとの認定を支持するものであるともいうことはできない。最後に所論は(E)その他の物証から検討した生産期間とし

て、(ア)昭和三四年一月一日から同年四月二一日の間の糸番手2/24を使用した製品について生産日数を検討すると、同年四月二一日までの売上製品に対応する糸費消量は同年三月二〇日までの仕入分で間に合うことからも入荷以後売上実現までの期間が滞留日数をも含めて三三日前後であることが判明するし、(イ)約定書(証第一〇七号の七)と証第二二一号請求書とにより昭和三四年三月ないし四月契約分の契約日から製品売上実現までの総日数を調べると、その総延日数は二九日、四八日、六八日となり、同年九月頃はでき上り納品していることを考え合せると生産期間が納期に左右されることが判り、(ウ)サンプル納品月日とその本来の納期の判明するものからの生産日数を検討すると、平均二九・五日となることも生産期間推認の参考となるという。

よつて検討するに、(ア)糸番手2/24製品と原料仕入の対応関係について、所論は、昭和三四年一月から同同四月二一日までの売上製品中糸番手2/24を使用した製品として、品番一四および一、一〇〇ないし一、一〇五の製品を挙げ、右売上を集計する一方、これに対応する原料として、昭和三三年一二月三一日現在の棚卸高(昭和三三年一二月末月別試算表添附棚卸表による)と同年一月五日から同年三月二日までの同糸番手仕入高を集計し、右仕入等に対応する売上は同年四月二一日で一区切がついたとして、これらを対比し、生産期間をも含めて三三日前後とすると対応関係が認められるとするであるが、糸番手2/24を使用した製品が所論指摘の品番の製品であることも、また右品番の製品に限られることも立証はなる、昭和三四年四月二一日に同年三月二四日までの糸番手2/24の棚卸高、原料仕入高に対応する製品の売上の区分がついたと認めるに足る証拠もないから、所論の対応関係の存在をもつて、生産期間を推認することはできず、(イ)約定書(証一〇七号の七)による約定と納入日との関係を論ずる点は右約定書三月五日分記載の品番の品物が売掛帳(証第一八一号)のレナウン東京店(二B課宛)記帳部分を見るに右約定書日附より以前である昭和三四年一月九日、同年二月二〇日、同年三月五日にすでに小量ではあるが納入されていることと対比すると、被告会社では約定書を作成する以前から下交渉がなされ、それに従つて生産のための準備が開始されていたことが窺われるから採用するに足りず、(ウ)サンプル納入とその本来の納期の間の日数により生産日数を論する所論は、サンプル納入前に被告会社において何らの生産準備をもしなかつたことについて認むべき証拠がないから採用し得ず、結局右所論はいずれも根拠に乏しく採るを得ない。

(2) 次に被告会社の設立期首の棚卸構成について原判決の事実誤認をいう所論を考えると、右所論は結局先に検討した月別試算表の記載が正確であることを前提とするものであるところ、右月別試算表が信用するに値しないものであることは先に説明したとおりであるから、これまた採用することはできない。

五、 以上所論について検討して来たところを総合すると、本件公訴事実を認定するための前提となる被告会社設立期首において公表外の棚卸資産の不存在の事実を立証するに足るものとして検察官が挙げる各証拠はいずれも右公表外棚卸資産の不存在を立証するものとしては採用することができず、かえつて被告会社設立時には約六、〇〇〇万円ないし、七、〇〇〇万円の簿外持込資産が存在した疑を容れざるを得ないので、右簿外持込資産の不存在を前提として出発した本件各訴因に関する逋脱額および被告人に逋脱の犯意があつたとする主張は認められないとした原判決の認定はこれを肯認するに足り、さらに記録および当審における事実取調の結果を検討しても、原判決に事実誤認の廉は存しない。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

検察官 平井太郎出席

裁判所書記官 池田初太郎

(裁判長裁判官 恒次重義 裁判官 清水次郎 裁判官 渡辺公雄 ただし引用した控訴趣意書および控訴趣意の捕充ならびに釈明と題する書面および答弁書および控訴趣意の補充ならびに釈明に対する弁護人の答弁書と題する書面記載部分を除く))

控訴趣意書

法人税法違反 株式会社 山崎メリヤス

右同 山崎利作

右被告人らに対する頭書被告事件につき、昭和四六年五月二五日福島地方裁判所刑事部が言い渡した判決に対し、検察官から申し立てた控訴の理由は、左記のとおりである。

昭和四六年九月二八日

福島地方検察庁

検察官 検事 斎藤吾郎

仙台高等裁判所第二刑事部 殿

本件公訴事実は、

被告会社は、福島県伊達郡保原町字大和一〇七番地に本店を設け、メリヤス製品の製造、販売を営む株式会社であり、被告人山崎利作は、右会社の代表取締役としてその業務全般を掌理しているものであるが、被告人山崎は右会社の業務に関し、法人税を免れる目的をもつて売上脱漏、架空仕入計上等不正な方法により

第一 昭和三四年九月一日より昭和三五年八月三一日までの事業年度において、被告会社の実所得金額が二一、〇九四、四一八円(それに対する法人税額七、八八七、七七〇円)あつたのにかかわらず、昭和三五年一〇月三一日所轄福島税務署長に対し、所得金額が四、八二二、八三六円、税額が一、七〇四、五六〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もつて同会社の右事業年度の右実所得金額に対する法人税額と右申告税額との差額六、一八三、二一〇円を逋脱し、

第二 昭和三五年九月一日より昭和三六年八月三一日までの事業年度において、被告会社の実所得金額が四三、八七六、六六五円(それに対する法人税額一六、三一七、三八〇円)あつたのにかかわらず、昭和三六年一〇月三一日所轄福島税務署長に対し、所得金額が七、八〇六、四四五円、税額が二、六一〇、七一〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もつて同会社の右事業年度の右実所得金額に対する法人税額と右申告税額との差額一三、七〇六、六七〇円を逋脱したものである

というにある。

これに対し原判決は、被告会社設立時に約六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円の簿外持込資産が存在した高度の蓋然性があり、「被告人山崎が被告会社から売上脱漏、加工賃の水増等の方法で持込資産相当額を回収しそれを架空名義の預金とした」という被告人の主張には説得力があり、「持込資産は存在せず、被告会社成立後の約六、〇〇〇万円の架空名義の預金はすべて被告会社に帰属する」ことを前提とする検察官の本件各訴因に関する法人税逋脱額および被告人の逋脱の犯意の主張は根底から覆えされ、本件各訴因は証明のなかつたことに帰するとして各被告人に無罪の言い渡しをしたものである。

しかしながら、本件各公訴事実は、原審で取調べた証拠を精査すれば優にこれを認めらるところであつて、これに対し無罪を言い渡した原判決は証拠の取捨選択とその価値判断を誤り、事実を誤認したものであつて、この誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないものと思料する。

以下その理由を述べる。

第一 問題点の整理について

検察官は、被告会社の起訴にかかる両事業年度の実所得金額の算定については原審公判廷に提出した証拠により損益計算法(損益計算書)を採用し、財産計算法(貸借対照表)により補つたが、逋脱の内容をなす勘定科目は、起訴第一年度においては

1 売上の計上洩 四、三八三、三七七円

2 雑収入の計上洩 二、五六六、一三五円

3 外注工賃の架空計上 九、六八三、三五五円

4 工賃の架空計上 七八一、九六九円

5 給料の架空計上 三五九、〇五四円

6 交際費の損金不算入額 △ 二〇、七六八円

7 支払利息の計上洩 △一、九五八、〇四〇円

8 包装費の架空計上 一、八〇〇、〇〇〇円

9 公租公課の計上洩 △一、三二三、五〇〇円

以上差引逋脱所得合計 一六、二七一、五八二円

であり起訴第二年度においては

1 売上の計上洩 一四、四七三、四五九円

2 期末棚卸高(過大計上)△一二、七八三、九五七円

3 雑収入の計上洩 一二、三〇七、九六五円

4 原料購入の架空計上 一五、〇二一、二五〇円

5 外注工賃の架空計上 七、五五三、一九二円

6 工賃の架空計上 三、二〇二、二八〇円

7 給料の架空計上 九四四、九三〇円

8 工賃の計上洩 △ 七〇、七九〇円

9 旅費、交通費の架空計上 一二、四一二円

10 公租公課の計上洩 △ 二、一三三、三五〇円

11 支払利息の計上洩 △ 一、九三四、七八六円

12 減価償却の計上洩 △ 五二二、三八五円

以上差引逋脱所得合計 三六、〇七〇、二二〇円

であると主張し、これら売上脱漏、外注工賃、給料等の架空経費計上等を発生源として簿外とした資金のほとんどを被告会社の簿外銀行預金としたものであつて、被告会社設立の際(昭和三三年九月一日)には、被告人の簿外棚卸資産の持込はない旨主張し、立証してきたのである。

これに対し原判決は

1 被告会社は、昭和三三年八月三一日限り被告人山崎の個人営業を廃止し、昭和三三年九月一日に株式会社となつたものであるが、被告会社の第一期(昭和三三年九月一日から昭和三四年八月三一日)期首三ケ月間の製品売上高は、

昭和三三年 九月 一五、七二九、〇〇八円

昭和三三年一〇月 一四、五九二、二七九円

同 一一月 一九、九四二、三七五円

合計 五〇、二六三、六六二円

であり、被告会社のメリヤス製品の必要生産日数は九〇日以上であると認められ、期首から生産期間に対応する三ケ月間に売り上げた製品は、期首において製品もしくは半製品でなければならず、被告会社の第一期期首(昭和三三年九月一日現在)の公表棚卸高(即ち、被告人山崎の個人資産の公表引継資産)

製品 一八九、〇〇〇円

半製品 二、〇四六、四〇〇円

原料 一一、五八〇、二九六円

副材料 六七一、六六五円

仕入商品 六、〇一四、一五〇円

合計 二〇、五〇一、五一一円

の公表製品半製品棚卸高をもつてしては、期首三ケ月間の製品売上高を上げることは不可能であつて、被告会社設立の際被告人山崎の相当額の持込資産が存在したことは否定できない。

2 昭和三五年八月三〇日付貸借対照表(証第四一号の一)および原料棚卸表(証第一二〇号)は、昭和三五年七月末日現在の被告会社所有の棚卸資産の総額を示しているものと認められ、右七月末日の棚卸高から同年八月三一日現在(第二期末起訴第一年度末)の棚卸高を推定計算すと、第二期末公表外棚卸高は

四五、九八〇、五五五円

または

五八、八四三、五一四円

となり、約四、六〇〇万円ないし五、九〇〇万円程度の公表外棚卸資産の存在することが推認され、第一期第二期を通じて公表外の仕入をしたという事実を認めるべき証拠はないから、これは第一期首の持込資産に由来するとしか説明できない。と認定し(判決書一九頁~二三頁、同二九頁~三四頁)、

さらに第一期期首の持込資産額を推定計算し、

1 第一期期首および期末の原料糸に換算した公表外棚卸資産を求め、それに基づいて計算すれば、第一期期首において被告会社には、

生産期間九〇日の場合

五七、一五五、七五〇円~四三、七九〇、三七九円

生産期間一二〇日の場合

五八、九八五、二一九円~四五、五五一、五〇八円

の持込資産が存在することが確実である。

そして、それが第一期末には

生産期間九〇日の場合

四九、三四六、二四九円~三七、八一七、〇三六円

生産期間一二〇日の場合

五三、一一一、八三二円~四一、五二三、六六七円

の公表外棚卸資産として波及していることが明らかである。

2 証第四一号の一により第二期末の公表外を含めた棚卸高の総額が判るから、

期首棚卸高(A)は

期中棚卸減少高(C)+期末棚卸高(D)マイナス期中棚卸増加高(B)

の等式により、第一期期首の棚卸高の総額および第一期期末の棚卸高の総額を求めることができ、これによれば

第一期首において被告会社には

四八、二八二、五六二円又は八六、三五五、六五一円

の持込資産が存在し、それが第一期末には

四三、六三二、一一七円又は八一、七〇三、二一四円

の公表外棚卸資産となつて波及していることが認められる。

と認定したのである(判決書六〇頁、同別紙ⅠⅡ判決書六一頁、同別紙ⅠⅡ)。

第二 本件についての証拠の検討

このように原判決は、被告会社の第一期首に被告人山崎の個人棚卸資産の持込が存在すると認定し、被告人山崎が被告会社から売上脱漏、加工賃の水増等の方法で持込資産相当額を回収し、それを架空名義の預金としたとする被告人の主張は説得力があるとしたが、右認定は被告人山崎の原審公判廷における弁解をそのまま採用し、これに符節を合わせた被告会社取締役である証人山崎隆子、同社総務部長であつた同山野辺実、被告会社と密接な取引関係のある参考人の証言などを採用し、被告人提出のデザイン帳(証第一三二号ないし一三八号)および前記貸借対照表(証第四一号の一)、棚卸表(証第二一〇号)の記載内容を十分検討しないで、被告人主張のとおりこれを採用した結果によるものと認められる。飜つて、被告人らの国税査察官に対する質問てん末書、検察官に対する供述調書および公判廷における供述を精査すれば、却つて、原審における被告人らの供述は非常識かつ矛盾に満ちた供述であつて到底措信することができない虚偽の弁解であることが明らかであり、右虚偽の弁解に基づいた原判決の右認定には到底承服することができないのである。

一 被告人の供述が虚偽であつて信用できないことについて

(一) 被告会社設立当時に被告人が約六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円の個人の簿外棚卸資産を所持していた旨の公判廷における弁解は、本件査察着手当初から一貫したものではなく、この点についての被告人の供述を検討すると、その供述が架空のものであることが判然する。

すなわち被告人山崎は、国税査察官および検察官の取調べに対しては、個人経営でメリヤス製造をはじめてまもなく、昭和二三年か二四年ころから簿外の現金および棚卸資産が増加し、被告会社設立当時には右簿外現金は合計六、〇〇〇万円、同棚卸は三、〇〇〇万円程になつた。現金六、〇〇〇万円は当初は一〇〇円札を一五万円ごとに束ねて竹ごおり約一三個に詰め、当時被告人が寝室兼事務所として使用していた床下の石室に入れておいた。千円札が発行され出廻るようになつてから順次千円札にとりかえ、さらに一万円札が発行されて一万円札にとりかえていき、被告会社設立の時には一万円札で一、〇〇〇万円の束が六束できて六、〇〇〇万円きつかりになつた。六、〇〇〇万円の札束は座布団を二つ折りにした間にはさみ床の間の床下に入れておいた。

被告会社を設立した昭和三三年九月から同三六年末ころまでの間に順次銀行に定期預金や普通預金をするようにしたものであると供述したのである、(記録第一七冊第五、六九四丁裏、第五、七〇六丁表ないし第五、七一〇丁、第五、七一三丁裏37,6,15付、37,6,20付、37,6,21付各質問てん末書。記録第一六冊第五、一六七丁表ないし第五、一七三丁、第五、一七六丁、第五、一七七丁、第五、一七八丁以下38,7,9付、38,7,15付被告人に対する各検察官調書)。

ところが公判廷においては、右のような供述をにわかに翻して、会社設立のときは裏の棚卸が六、〇〇〇万円から七、〇〇〇万円位あつたもので、六、〇〇〇万円の現金を竹ごおりに詰めて自宅などに所持していたことはなかつたと供述するに至つた(記録第一五冊第四、九四八丁ないし第四、九五八丁被告人山崎の本人尋問)。

このように被告人は検察官に対し、個人経営のときに蓄積した簿外現金を竹ごおりに詰めて所持していたと供述し、その百円札、千円札等の札の種類、枚数、保管の状況、竹ごおりの形態、数量まで具体的に挙示し説明しておりながら、公判廷に至つて突如としてこれを翻したことは、検察官に対する右供述が甚だしく非常識で何人に対しても到底納得させ得ない虚偽のものであることが余りにも明白であるため、自己に不利益になると察知し、供述を変更するの挙に出たものと認められる。

この点について、被告人は公判廷において、検察官の取り調べの際にも六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円の持込棚卸資産があつた旨供述をしたが検察官にはきき入れてもらえず、勾留されて気も転倒していたうえ、検察官に脅迫されてやむなく現金六、〇〇〇万円を所持していた旨の嘘の供述をしてしまつたものであると述べて、その供述を変えた理由を説明している(記録第一五冊第四、九五〇丁表以下被告人の公判供述)。

しかし、被告人は国税査察官に対しても、当初から簿外現金六、〇〇〇万円を所持していたのを架空名義の銀行預金にした旨の供述をしていたことは前記のとおりであつて、査察および捜査を通じて簿外現金六、〇〇〇万円簿外棚卸三、〇〇〇万円合計九、〇〇〇万円を所持していた旨供述していたのを、公判廷に至つて持込棚卸六、〇〇〇万円に供述を変更したのは、本件査察着手(昭和三七年五月八日)ののち、銀行調査の結果簿外銀行預金が

東邦銀行保原支店 五八、三〇七、三三一円

富士銀行福島支店 三一、三五一、五五一円

福島相互銀行保原支店 三〇〇、〇〇〇円

の合計約九、〇〇〇万円存在することを査察官が把握していることを知つた被告人が、右架空名義の銀行預金を自己の個人所有に帰属する旨主張するために、右銀行預金高九、〇〇〇万円に見合う現金六、〇〇〇万円、棚卸三、〇〇〇万円の合計九、〇〇〇万円の持込を主張し、公判廷においては、検察官主張の逋脱所得の内容をなす簿外銀行預金額が被告会社の設立後第一期を含めて約六、〇〇〇万円であることを知つて、右六、〇〇〇万円に見合う持込額に減額して持込棚卸六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円の供述をするに至つたものであると推察され、被告人の右公判廷の弁解は全く稚拙であり、かかる重要な事項について、これを簡単に変更していることは、とりもなおさず約六、〇〇〇万円もの製品、半製品、原料などの簿外棚卸資産を持込んだ事実がないのにかかわらず、かかる事実があつたと弁解しているにすぎないのであって、被告人の供述が虚偽であることを物語っているものにほかならない。

(二) 山野辺実の供述および月別試算表について

さらに被告会社の取締役で経理を担当している総務部長山野辺実が、被告会社設立時には簿外の持込棚卸資産の存在しなかつたことをはつきりと供述していることを挙げなければならない。

すなわち、右山野辺実は検察官に対し、

「会社設立がなされた昭和三三年八月の前後は殆んど毎月のように私は社長から会社財産の現況の調査を命ぜられ試算表を作つておりました。

当時社長は会社財産の状況を詳しく正確に把握したかつたようなのです。」(記録第七冊第二、二五〇丁表裏38,7,2付検察官調書)、

「青色申告をし始めた昭和二八年ころから棚卸はやつてきましたが、昭和三〇年ころから三三年末ころまでの間は特にひんぱんに殆んど毎月やりました。それまでは社長が自分自身で会社の財産状態をほぼ正確に把握していたが、営業規模が大きくなるにつれそれが難しくなつて、私達に対し毎月の棚卸を正確にやつて損益をはつきり出すようにと何度も言つてやつた訳です。」(記録第七冊第二、二二九丁表裏、第二、二三〇丁表38,7,29付検察官調書)、

と供述し、被告会社設立当時、被告人が企業の経営規模の増大に伴ない従来の勘に頼る方法では経営状態を把握し得なくなつたことと、個人企業から会社組織への変更という時期に、財産状況を把握するため山野辺実に指示して棚卸を毎月実施させて、後記月別試算表を作成させていたことを明らかにし、被告会社設立の際の引継棚卸資産については、

「昭和二九年ころから私は利作に対し、取引先に対する対面上も個人よりも会社の方がいいし、経理面でもはつきりさせるためには会社の方がいいから、会社組織にするようにと何回もすすめたのですが利作は当時公表帳簿を通さないで裏に廻していた分があつたので、会社にして個人財産を引継ぐ際その裏分がばれるおそれがあつたことから、徐々に裏分を少なくして公表分との差額をなくすための期間が欲しかつたことから会社組織にするのを渋りました。

昭和三三年八月一五日になつて表と裏の差も殆んどちぢまつたということで、株式会社山崎メリヤスを設立し、その手続を終えました。」(記録第七冊第二、二四八丁裏ないし第二、二四五丁裏38,7,2付検察官調書)、

と供述し、会社設立前後の棚卸が正確に行なわれ、それを月別試算表の棚卸勘定に記載しており、会社設立時の引継棚卸資産は公表の二〇、五〇一、五一一円であつて、他に棚卸資産は存在しなかつた旨を明瞭に供述しているのである(記録第七冊第二、二二九丁表ないし第二、二四三丁裏、第二、二五〇丁ないし第二、二五六丁表、38,7,2付、38,7,29付各検察官調書)。

ところで、右山野辺は、被告人の個人企業の頃から長年被告会社に勤務し、経理を担当して総務部長の職にあつたものであり、被告会社の経理決算はもちろんのこと、被告人の個人財産についても青色申告等を行なつていたもので、かかる職務を担当していた山野辺が、右のように簿外の持込棚卸資産の存在しなかつたことを明確かつ具体的に述べていることは本件事案の真相をありのまま供述したものというべきである。

ところが、山野辺実は、原審公判廷において前記供述を覆がえし、右供述は検察官から脅迫されてやむなく虚偽の供述をした旨証言するに至つたが、同人は国税査察官による査察着手後まもない昭和三七年五月一七日に査察官に対して、前記検察官調書と同様の供述をし、それ以降査察捜査段階では簿外棚卸資産の持込みはない旨一貫した供述をしてきたのである。

原審は、右山野辺の検察官に対する供述は、「その供述が当時どの程度の資料的把握のもとになされたかについては疑問をはさむ余地があり、その後審理に顕われた客観的な各証拠と対比すれば、その証明力をその供述内容どおりとして評価することはできない」と判示し(判決書一六頁)、前記検察官調書を措信できないとしたのである。

しかしながら、前記検察官に対する供述は、山野辺の記憶だけによるものではなく、前記月別試算表(証第一〇〇号)、同表の内訳明細書(証第一〇一号、第一〇三号)、昭和三三年分所得税青色申告決算書(証第一〇二号)などを資料として検討しながら供述していることは該調書上一目瞭然であるばかりでなく、右山野辺は、被告会社の毎月の損益を出す際棚卸の正確を把握するための帳簿の検査まで行なつてきた(記録第七冊第二、二四一丁裏、38,7,29付検察官調書)のであるから、同人としては、個人経営から会社組織に変更するという企業にとつて重大な時期における六、〇〇〇万円にものぼる簿外棚卸資産が存在したか否について、「資料的把握」がなければ供述できないという事項ではないというべきである。真実持込棚卸が存在し、売上脱漏、架空経費計上等の手段により、それを回収したというのであれば、経理を担当していた山野辺としては、査察当初からその旨の供述をするのが当然であるのに、前記のとおりの供述をなし、被告会社の専務取締役である山崎隆子が査察当時公表の引継棚卸二、〇五〇万円余のほかに簿外の棚卸が存在したと話していたことについてさえ、

「会社引継の棚卸が二〇、五〇一、五一一円に相違なく、それより上廻ることもないはずですが、昨年五月仙台国税局の査察が山崎メリヤスになされてから専務が「会社設立の時には裏の棚卸があつた」ということを言いました。私は今迄申してきた経過で棚卸には間違ないと思つてきましたし、査察前に誰からも左様なことは聞かされなかつたので、その専務の言葉はおかしいと思つております」

との供述をしているのである(記録第七冊第二、二五三丁裏38,7,2付検察官調書)。

右山野辺実は、被告会社の経理決算については、最も良く知つている立場にあるわけであるから、その山野辺が敢えて被告会社に不利益となるような虚偽の供述を軽々にするはずもないし、またできるものでもない。

また山野辺は、査察着手と同時に被告会社の法人税逋脱容疑で調査が行なわれたことは充分認識していたのであつて、会社設立時に持込棚卸資産が存在したのであれば、あくまでも持込資産の存在したことを主張しさえすれば足りるのであるし、それが当然の供述である筈であるのに、被告人の個人棚卸資産の引継は公表の二〇、五〇一、〇〇〇円だけで簿外持込棚卸資産は存在しなかつたという山野辺の前記供述は、被告人がいかに弁解したとしても、そのほうが真実であると考えざるを得ないのである。

そして、山崎メリヤスでは会社設立前後には、財産状態を正確に把握するためにひんぱんに棚卸を行ない、前記月別試算表は本件査察着手の昭和三七年五月八日被告会社の捜索の際に会社事務所の山野辺が使用していた書棚より押収されたのである。

右月別試算表には、被告人の個人営業時の昭和三三年三月から同年八月までと、法人組織に変更した後の同年九月、一一月、一二月の各月の公表額および簿外額の貸借残高が明記され、その各勘定科目の内訳を明記した明細書まで作成されており、右貸借残高表は貸借対照表の形式をとり、簿外資産については〈部外〉〈B〉などの記載がなされ、被告会社設立直前の昭和三三年八月三一日付の試算表によれば、同日現在の被告人個人の青色申告では申告されていない簿外預金合計二八、〇七四万円の記載もなされていて、右預金額の記載は査察後に判明した当時の預金額とも一致しているのであつて(記録第四冊第一、一一八丁表以下銀行調査書類)、かかる記載形式・内容などに徴しても、この月別試算表は、被告会社設立当時の真実の財産状態を記載していたものであることは疑う余地のないところである。

しかるに原判決は、

被告人は当時の取締役総務部長の山野辺実には棚卸部門以外の経理を、専務取締役の山崎隆子には棚卸部門をそれぞれ分掌させていたものであり、月別試算表(証第一〇〇号)は、山野辺が被告人に経理を報告するために作成したものであるが、棚卸以外の部分については、同人の責任であるから裏勘定分を正確に記載したが、棚卸の部分については山崎隆子の担当であつたため、あるべき利益から逆算して公表すべき棚卸高を同女に知らせ、同女は棚卸を調査した原始記録から公表すべき分を調整した金額を山野辺に報告し、同人はそれをそのまま試算表に記載したにすぎず、同人自身も同表の棚卸高の記載については正確だと思つていなかつたこと、山崎隆子は独自に裏表を含めた棚卸高を被告人に報告していたことが認められ、月別試算表に持込棚卸資産の記載がないからといつて直ちに持込資産がなかつたものと速断することはできない」

旨判示した(判決書一一頁、一二頁)。

右認定は、原判決も摘示するように、被告人の公判廷の供述、証人山崎隆子、同山野辺実の各証言によるものであるが、被告人の妻および山野辺の妻は山崎隆子と姉妹でいずれも姻戚関係にあり、山崎隆子および山野辺は現在なお被告会社の取締役として重要な地位にあるうえ、被告人らの公判廷の供述は、相互に著しく矛盾しており、その供述態度は、その時々において、場当り的な供述をしていることが認められるのであつて、このような点からしても被告人らの右供述は全く措信できないのである。

被告人は、右月別試算表について

問 この試算表というのは、なんで毎月作つていたんですか。昭和三三年三月から一二月まで毎月ありますね。

答 ぼくは何んで作つたかわかりませんけど、毎月作つたということは事務では事務なりにまず六、〇〇〇万円をとれといわれたんで、なんか作つておかないと取る方法ができないんじやないのかな。

そういう意味で作つたんじやないでしようか。

問 これは誰れが作りましたか。

答 山野辺が作りました。

問 あなたが山野辺さんに作るように指示したんですか。

答 忘れましたね。

問 この試算表毎月見ていましたか。

答 見たことがあるかもしれませんし、見なかつたかもしれません。わかりませんね。

などと曖昧な供述をしたり(記録第一五冊第五、〇四二丁裏以下、第三二回公判被告人の公判供述)、

問 これは(月別試算表を示して)あんたが会社の経営の実態を知るために山野辺に作らしたものではないか。

答 会社は、別に社長が作れといわなくても担当者は自分でその分野のものを作つたりなんかするんですね。

と供述し(記録第一七冊第五、〇七一丁裏、第三二回公判被告人の公判供述)ているのであるが、この点について、山野辺実は公判廷でも、前記検察官に対する供述と同様に、裏と表を合わせた会社の財産状況全般を知るために試算表をつけないと被告人に報告できないので、被告人から作成するように指示されて作成していた旨の証言をし(記録第四冊第一、二七一丁表証人山野辺実の証言)、山崎隆子も右試算表は、

山野辺さんが社長に命じられて作つたのだと思つている。

山野辺さんは書類上のことは会社のことも、社長個人の資産も全部管理していたわけです。それで社長に報告するため作つたんじやないかと思います。

と証言しており(記録第五冊第一、七八一丁裏、第一、七八二丁表)、本件月別試算表は被告人が指示して山野辺に作成させたものであることが明白であるのに、右月別試算表に簿外預金等の記載があるのに棚卸だけに簿外の記載がなく、会社設立当時存在した棚卸が、右月別試算表に記載した額だけであることが推認されるため、被告人は、自己の弁解を維持するに障害となる右月別試算表には自分は関与していなかつた旨の回避的な弁解をなしたものと窺えるのである。

さらに右月別試算表の棚卸の記載の正確性について、証人山崎隆子は、右試算表の棚卸は、帳簿面で多少の利益があがる程の額を山野辺に聞いてその金額に応じて棚卸資産から簿外とする分を抜いて、その結果を山野辺に報告し、同人がそのまま試算表に記載したもので、試算表の棚卸の記載は真実でない旨の証言をした(記録第五冊第五、八五〇丁表以下証人山崎隆子の証言)が、同女は査察官から右月別試算表を示されて取調を受けた際に、

これは三三年の各月の試算表の内訳明細書ですが、このようなものまであつたのですか。こういうものは残つていないと思つていました。

こういうものは作るものではないですね。全く残念でした。実は差押目録に書いてあつたのを見ましたが、今まで公表のものばかりと思つていました。山野辺か私が見つければ整理してしまつたのに全くへまをしました。

これは外部に出すものではなく、社長に報告するために作るもので、その目的さえ果せば必要がないのです。またあると今度のような場合これを見れば何んでもわかるでしよう。私から何にも聞かなくてもそれを見ればわかるんじやないですか。

三三年以前は規模もまだ大したこともなかつたので、社長の頭の中で一応財産状態をつかんでいたし、又経理の人員も少なかつたので、そのようなことはしていなかつたと思います。三三年ころから規模も大きくなり、社長も従来のように記憶だけに依存できなくなり、このような決算書を作るようにやかましくいわれ、作るようになつたものです。それが又三四年のいつ頃からか仕事が忙しく毎月作られなくなつたので、春のひまなとき、決算期、年末というように年二回か三回作ることになつたはずです。

と供述し(記録第一七冊第五、六七二丁表裏、37,7,5質問てん末書)ている。右供述は一見して、山崎隆子が査察官から月別試算表および棚卸調書を含む内訳明細書を示され、それが押収されているのを知つて驚くとともに困惑してなしたいかにも自然な供述であることが明らかであつて、この供述からみれば、右月別試算表および内訳明細書にはまさしく会社財産が正確に記載してあることを物語つているものといわなければならない。

そして証人山崎隆子は、前記のように被告人に報告するために月別試算表を作成した旨証言している一方において、検察官から何故棚卸の額だけを少なくした試算表を作成する必要があつたか追及されるや、

それは山野辺さんから試算表の形がよくなるような形の数字を入れるようにといわれたから。

と証言し、さらに何故そのような形の数字になおす必要性があつたかについては、

だれに見せるためにどうするということは聞いていない。経理の先生に見せるための下書きでも作つてるんではないかと感じていた。

などと証言を変更したりして(記録第五冊第二、八九九丁表以下証人山崎隆子証言)、全くの場当り的な供述をしていることが認められるのである。

右月別試算表の棚卸高のうち原料については、被告会社の従業員木村裕が棚卸調書を作成し、原料以外の製品、半製品等については山崎隆子のもとで棚卸調書が作成され、それをもとに山野辺が記載(記録第七冊第二、二五三丁裏山野辺実に対する38,7,2付検察官調書)していたものであるが、証人木村裕は、右月別試算表の内訳明細である原料の棚卸調書の記載は正確であつて故意に水増したとか減じたことはない旨供述しており(記録第三冊第六四八丁表裏証人木村裕の証言)、原料以外の製品、半製品等についても、棚卸調書に山崎隆子がその摘要欄に数量計算の過程を記入したり、山野辺にも棚卸表の記載をさせた際に山野辺が脱洩した分について同女が自ら追加記入していることが認められ、山崎隆子自身もこれを正確に記載していたことが明らかなのである(記録第七冊第二、二四三丁表裏山野辺実の検察官調書)。

証人山野辺実は、被告会社設立の前後に頻繁に棚卸を行なつた理由について

会社の状態を把握するのには棚卸をやらないとわからなかつたわけです。私自体も一応担当して棚卸をやらないとそういう状態がわからなかつたものですから。

と証言しており(記録第五冊第一、三四七丁表裏第一、三四八丁表)右月別試算表は単に被告人に報告するためにだけ作成したものではなく、経理担当者としての山野辺自身が棚卸を含めた財産状態を把握しようとしていたことが明らかであり、同人は、

昭和三〇年ころから三五年ころまでの間、私は一年に三回程抜き打ち的に棚卸の正確性をためすための検査を行なつた。

毎月の損益を出すのに一番正確性に問題が起りがちなので私は気にしていた訳なのです。

と供述している(記録第七冊第二、二四一丁裏38,7,29付検察官調書)。

以上述べたように、被告会社の設立という被告会社および被告人にとつてきわめて重要な時期、被告人の供述によれば「会社にするということで一線を引く」(記録第一七冊第五、〇八六丁裏)時期に、会社の財産状態を把握する目的で作成されたことの明白な月別試算表およびその明細表について、経理担当者である山野辺が、真実の棚卸の数量、金額については全く関与せず、したがつて右試算表の棚卸高の記載だけが真実ではないという被告人らの公判廷における供述は、右月別試算表の存在が自己の持込棚卸資産があつたとする弁解を維持するための一大障害となるためにした供述でしかないことが明らかであつて、原判決がその供述自体からして到底納得ができない被告人の弁解を無批判的に措信して、右月別試算表の棚卸高の記載は真実の棚卸高ではないとしていることは事実誤認も甚しいものであるといわなければならない。

(三) 被告人は、昭和二八年に青色申告をはじめた頃に簿外棚卸資産が三、〇〇〇万円位存在し会社組織にした昭和三三年九月までにそれが六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円に増加した旨弁解するのであるが、右弁解によれば昭和三二年末の青色申告の際にも右金額に近い簿外棚卸が存在したことになるのである。

被告人個人の昭和三二年度分所得税申告書(控訴審において提出予定)によれば、同三二年一二月三一日現在の棚卸は

仕掛品、製品、原材料、貯蔵品

の合計が

二五、九二七、五五八円

であるが、山崎メリヤスでは昭和三二年度に福島県の企業診断を受けたが、その際に作成された企業診断書(証第一〇五号)には

仕掛品 二、三〇七、一一〇円

製品 一一、六八八、〇七九円

原材料 一二、四八八、八三四円

貯蔵品 五五〇、〇〇〇円

の合計

二七、〇三四、〇二三円

の棚卸資産が存在した旨の記載がなされている。

そして、右企業診断が正確に行なわれ、山崎メリヤスの企業の実態を診断したものであれば、右診断書は山崎メリヤスの財産状態を正確に表示した結果になるのであつて、昭和三二年一二月三一日現在の簿外棚卸は右青色申告書の二五、九二七、五五八円と右企業診断書の二七、〇三四、〇二三円との差額一、一〇六、四六五円にすぎないことになる。

このために被告人は、右企業診断書について、企業診断員に対して

会社の裏の裏まで話すことはできないので大体表向きのことを話して、この企業診断というのできたわけです。

青色申告につかつている資料を全部出しているんじやないかと思います。青色申告の範囲ということは実際の所得の一〇分の一の規模です。

と供述し(記録第一五冊第四、九六四丁表、第五、〇三五丁裏)、企業診断の際には正確な資料を提出しなかつたので右診断書の記載も正確ではないとの弁解をしたのであるが、企業診断書には、昭和三二年一二月現在の公表の所得申告書に記載されていない資産、すなわち簿外預金、簿外売掛金、簿外受取手形等が記載されており、被告人はこの点を公判廷において追及されると、

簿外預金を企業診断員にみせていれば、山野辺が事務長していましたから、なんか間違つて出したかどうかということですね。

などと供述しており、この点についても被告人の場当り的供述が認められる。

原判決は、右企業診断書に「会社提供のデーターは粉飾されている点があるので、この計数分析の結果から、この経営体の実体を判断するのは当を得ないところがある」とし、これと企業診断を担当した証人伊藤栄一の被告会社の原料、仕掛品については極めて少なく計上されている旨の証言(記録第一〇冊第三、二一二丁証人伊藤栄一の証言)によつて、企業診断書は持込資産が存在することの裏付にこそなれ、不存在を立証するための証拠とはなし難いとしたのである(判決書一二、一三頁)。

しかしながら、企業診断は、企業経営の分析をして企業の将来への方策を得るために行なわれたものであつて、企業診断では企業の損益勘定に直接関係のない簿外預金よりもむしろ棚卸資産の在庫高およびその回転率の算出が重要な事項である。

そして被告人の弁解のように約六、〇〇〇万円近い簿外棚卸が存在したが企業診断の際にはその棚卸を診断員に隠蔽していたというなら、企業診断の目的は、全く果せないことになるし、また、山崎メリヤスでは簿外の秘密預金さえ診断員に提示して診断を求めているのであるから、棚卸だけを粉飾する理由は全くない筈である。

診断当時、原料、仕掛品等の棚卸資産が極めて少なく計上されていることが診断員に把握されていたのなら、診断書にもそのことを具体的に記載されなければならないのに、その具体的記載はないうえ、右青色申告書と診断書の貸借対照表損益計算書を比較すれば明らかなように、診断書のそれに記載があつて青色申告書に記載のない簿外預金、売上脱漏等が判明した際に簿外棚卸の実際額等が問題にされるべきであるのに、右診断書にはこの点に関する指摘もないのである。

証人伊藤栄一は検察官に対しては

診断に必要な資料の提出を求めたとき、最初は表向きの帳簿しか出さなかつたが、経験上実際のものでないとわかつたので、山崎利作らに本物を出すことを二度、三度言つたら、その都度資料を出してくれたので、それらの資料が出つくしたと思われるころ、それに基づいて診断書を作成した。

旨、右企業診断がほぼ正確な資料をもとになされた趣旨の供述をしたのである(控訴審で提出予定の昭和三八年八月七日伊藤栄一に対する検察官調書)が、原審では、

公表の帳簿だけで調べたのか。

裏のものを含めて書いたのか正確には覚えていない(記録第一〇冊第三、二三〇丁裏第三、二三一丁表)。

(帳簿が)公表されたものと思つて調べた。おかしいと思つて後から出してもらつたということは正確に覚えていない(記録第一〇冊第三、二三一丁裏)

と証言して、右診断の際の資料の正確性について実質的に異なる供述をした。右証人は本件企業診断後、経営コンサルタントとして被告会社の経営に関与しており、公判廷の同人の証言はにかわに措信しがたく、検察官が右伊藤栄一に対する検察官調書を刑訴法第三二一条一項二号書面として取調請求したのに原審は、実質的に異なるところはないとしてこれを却下したために(記録第一七冊第五、六六〇丁表裏)、前記認定をせざるを得なくなつたことが窺えるのである。

二 昭和三五年八月三〇日付貸借対照表(証第四一号の一)および棚卸表(証第二一〇号)について

(一) 原判決は、右貸借対照表の棚卸高およびその内訳明細を示す棚卸表の記載は、昭和三五年七月末の棚卸資産の総額を示すものと認定し、これにより被告会社の第二期末(起訴第一年度)の同年八月三一日現在の公表外棚卸資産の推定計算を行なつて、約四、六〇〇万円ないし五、九〇〇万円の簿外棚卸資産が存在するとした(判決書二九頁ないし三四頁)。

しかしながら原審は前記月別試算表(証第一〇〇号)の棚卸高の記載の正確性について、被告会社の棚卸は専務取締役山崎隆子の担当するところで、経理担当の山野辺実は棚卸には直接関与しておらず、右月別試算表の棚卸高およびその内訳明細である棚卸調書の記載は正確ではない旨認定しており、公判廷における棚卸に関する被告人の供述、証人山崎隆子、同山野辺実の各証言を信用して採用した原審としては、山野辺が作成した棚卸関係帳簿には真実が記載されていないことになるのであつて、右山野辺実が作成したとする証第四一号の一貸借対照表の棚卸高および証第二一〇号の原料棚卸表の記載が正確であると認定するためには、他にそれを認めるに足りる証拠がなければならないというべきである。

しかるに、原審で取調べた証拠を精査しても、右貸借対照表の棚卸高と棚卸表の記載が、月別試算表の棚卸高およびその棚卸表の記載と異なつて山野辺実が特に正確に記載したことを認めるに足る特段の証拠はない。わずかに弁論終結後に再開された第三九回公判期日における証人山崎隆子の証言中に、

問 この書類は誰れが書いたものですか(証第二一〇号を示す)

答 これは山野辺の字ですけれども一部下の方は違います。

問 原料棚卸表と表題のついている方は誰れの字ですか。

答 山野辺の字です。

問 もう一つの倉庫在庫品調書と見出しのある方は誰れの字ですか。

答 倉庫在庫品調書と見出しは山野辺の字です。

中味は三枚目までが女子事務員佐藤スミ子の字で、四枚目と五枚目は私の字です。

問 原料棚卸表というのは何を書いたものですか。

答 八月三一日現在の棚卸しを書いたものです。

問 実際に棚卸したのを書いたのですか。

答 そうだと思います。

問 もう一つの倉庫在庫品調書の分は何を書いたのですか。

答 八月五日に倉庫棚卸しをしたのを書いたのです。

との供述があるだけで(記録第一七冊第五、八五七丁表裏)、右証言がその記載の正確性について判断の資料となりうるものではなく、該貸借対照表の棚卸高およびその棚卸表の記載が昭和三五年七月三一日現在の被告会社の総額を示すものとした原審の認定は、弁護人の主張をそのまま採用し、主張と証拠を混同した結果によるものであつて、証拠によらない独断であるといわざるを得ないのである。

(二) さらに、右貸借対照表の棚卸高をもつて、昭和三五年七月三一日現在の被告会社の棚卸資産の総額であるとする原判決の決定的な誤りは、右貸借対照表の内訳明細である棚卸表(証第二一〇号)の記載内容すら十分検討しなかつたことである。

右貸借対照表(証第四一号の一)に記載された棚卸高は、

原料 四四、〇〇二、七五九円

商品 九二、一七八、五〇四円

副資料 五五〇、〇〇〇円

合計 一三六、七三一、二六三円

であり、一方被告会社の第二期末(昭和三五年八月三一日)現在の公表棚卸高は、棚卸表によれば、

合計 一一〇、七三六、三七四円

であることが認められる(証第一〇六号の七)。

このように右簿外を含めた七月末の棚卸表であるとされる証第二一〇号と八月末の公表棚卸表である証第一〇六号の七との記載自体からは、約二、六〇〇万円の差額が生じるが、両者の記載内容を検討すると、証第二一〇号の記載は、棚卸原料等の単価が売価で計上されるなど過大評価されていることが窺えるのである。

証第二一〇号の仕掛及半製品の各部在庫の棚卸表によると、

〈省略〉

と記載されているが、右棚卸表は、種類ごとに単価を計算しないで、単価を七〇〇円とか七二〇円と概数計算をしているのに対し、証第一〇六号の七の棚卸表によれば、仕掛品、半製品ごとに単価が記入されており

〈省略〉

となつているが、右金額を右数量で徐して平均単価を出していたのが備考欄の金額であつて、前記二一〇号の棚卸表の単価は相当の過大評価となつていることが窺われる。

因みに、右平均単価に前記二一〇号の各部在庫の数量を剰じて棚卸高を推計すると、その合計は三一、〇二四、六五七円となり、前記三六、八五九、九四〇円との差額の約五八〇万円が過大評価されていることになる。

また、証第二一〇号の製品の部の棚卸表によれば、

ポーリー分 三、四三九打 三六、八七三、五七六円

ダンスレート 五三四打 八、七一八、九〇一円

の製品在庫が存在したことになつているが、右金額は同表の計算過程の記載で明らかなように、

ポーリー分 3,439打

$102,426.60×360=36,873,576

ダンスレート 534打

$24,219.17×360=8,718,901

となつており、ポーリー分、ダンスレート分の記載が輸出用品であるため、ドル計算を行なつたもので、被告会社の棚卸は原価で評価しているのに、右在庫についてのみドル計算をしていることは、売値によつて右評価をしていることが明らかである。

右ドル計算にもとづく製品の単価は

ポーリー分 一〇、七二二円

ダンスレート分 一六、三二七円

となるが、証第一〇六号の七の棚卸表によると、それぞれの製品単価は、

ポーリー分 九、四七〇円

ダンスレート分 一四、八九四円

となつており、この原価に右証第二一〇号の製品在庫を剰じてその金額を計算すると、

ポーリー分 三二、五六七、三三〇円

ダンスレート分 七、九五三、三九六円

となつて、ここでも売価によつて棚卸計算したために約五〇〇万円の過大評価が行なわれていることが窺えるのである。

さらに証第二一〇号の原料の部の棚卸表には

(木村)生地糸No.1~1 五、七二三、六六一円

No.1~2 二、五〇三、一〇〇円

(木村)梳毛又はNo.2~1 一〇、五九六、三七五円

染糸No.2~2 五、七一六、四〇〇円

(石井)カシミロン一四、七一五kg一九、四六三、二一八円

計 四四、〇〇二、七五九円

との記載があり、右カシミロンについては、その内訳として

染工在庫 一三、四七六、〇九八円

旭化成返糸 一、八五四、八四六円

山崎在庫 2/30 三、九二九、三一〇円

2/40 二〇二、九五〇円

が記載されている。

原審は、右カシミロンについても、昭和三五年七月末日の被告会社の棚卸資産に含まれるとしているのであるが、カシミロンは旭化成が製造した化学繊維で、被告会社では中間商社である株式会社蝶理を通じて購入していたが、右カシミロンの販売を担当していた旭化成の永島仁平、同府瀬川清蔵、蝶理の原茂の各証言によれば、当時カシミロンには染色上の欠陥があつたため、原判決も認定しているように、当時被〓社と蝶理との間ではカシミロンにつき試験売買的な取引が行なわれていたのであつて、旭化成が出荷〓ロンが同社の下請染色工場の武藤染工場に入荷しても、被告会社では、染色の結果が良好のも〓し、染色以前のカシミロンについては買入れたとの認識をもつていなかつたことが認〓四九〇丁表以下、証人永島仁平、第一、五二二丁表以下証人原茂、第一、五八四丁表以下証人府瀬川清蔵の各証言、記録第一六冊第五、三五〇丁被告人の公判供述)、したがつて武藤染工場に入荷したカシミロンは入荷即仕入となり、被告会社の棚卸資産となるものでないことが明らかである。

原茂の証言によれば、

出荷された糸のどれだけが使えるかわからないというふうな問題が本質的な問題として当時ございましたので、買上げられる原糸であるというふうなものについて、山崎メリヤスから蝶理の方に連絡がありました。或いは旭化成と山崎メリヤスとの話合に基づいてこの部分は買うというふうな連絡がありまして、わたしの方では旭化成からの仕入れ、山崎メリヤスの売上というふうなものを実際やつておつたように記憶しております(記録第六冊第一、五三〇丁裏第一、五三一丁表)。

その糸が使えるものであるかどうかは山崎メリヤスに判定願う以外に方法がないという結論に達し、出荷案内並びに請求書を経理まで持つていかずに営業のほうでとどめておいて、そのうちで代金を支払える、この糸は使える糸であるというふうなもののみを経理処理に回し、そのものはだめであるというものについては、仕入も売上も立てなかつたというような実情であります(記録第六冊第一、五三五丁表裏)。

例えば、四月に出荷したものが六月に使えるというふうな返事がありました場合には、六月の時点でもつて売上とする(記録第六冊第一、五三六丁表裏)。

旨の供述をしており、また、蝶理株式会社昭和三五年度売掛金元帳(証第一二九号)によれば、同三五年一〇月二〇日付欄に

〈省略〉

の記載があり、これは同年五月に出荷したカシミロンを、蝶理では同年一〇月に売掛金として計上して処理したことを示しており、被告会社でも一三、二三六、〇〇〇円の右カシミロンを仕入計上していないことおよび右原証言を総合すると、右五月に被告会社に出荷されたカシミロンが被告会社で染色可能かどうか判明しなかつたため被告会社および蝶理においてもそれぞれ売上、仕入に計上しなかつたことが窺われるのである。

そして右原証言によれば、被告会社から右カシミロンが使用可能である旨の連絡を受けてから売上げに記帳したというのであり、それが一〇月二〇日に計上されていることは、すくなくとも同年七月末日現在では右一三、二三六、〇〇〇円のカシミロンが被告会社に入荷はされていたが、仕入の計上がなされておらず、したがつて被告会社の棚卸資産になつていなかつたとみるべきものである。

そして前記証第二一〇号に記載されている原料在庫のうち

染工在庫 一三、四七六、〇九八円

は、被告会社の同年八月末現在の棚卸には計上されていないこと、右一三、二三六、〇〇〇円の金額に近いことなどを考慮すれば、右カシミロンが使用できるかどうか判明しなかつたため、被告会社では仕入計〓ないことが窺われ、すくなくとも右カシミロンが良品で使用できるものであつて、被告会社の在庫となつていたと認めるに足りる積極的な証拠はない。

また、証第二一〇号の

旭化成返糸 一、八五四、八四六円

も前記各証言によれば、不良糸として返品になるもので、不良糸であれば被告会社では仕入に計上しないというのであるから、これも被告会社の棚卸となるものでない。

このように、右カシミロンは、被告会社の在庫となるものではないのに、原判決は証拠を検討せず、弁護人の主張をそのまま採用し、昭和三五年七月末日現在の被告会社の棚卸に含まれるとして、同年八月末日の簿外棚卸の存在を推定計算したのである。

(三) このように証第二一〇号の棚卸表の記載は、これをもつて昭和三五年七月三一日現在の被告会社の棚卸総額であるとすることはできず、八月三一日現在の棚卸高を算出するための証拠とすることは到底許されないものと思料する。

しかも原判決は、証第二一〇号の棚卸表をもとに推定計算を行なうに際し、前記カシミロンの帳簿処理が被告会社と蝶理とのそれが一致していないために、被告会社の仕入帳(証第六九号)と蝶理の売掛金元帳(証第一二九号)とを対照し、

被告会社の昭和三五年八月の原料購入でありながら翌期の三五年一〇月三〇日の原料購入高として仕入帳に記載されているもの

合計 一一、〇四三、七〇〇円

があり、被告会社の同年八月の原料購入高については元帳(証第一二号)の記載どおりでない可能性があるので、

蝶理の売掛金元帳に計上されているが、被告会社の仕入帳に計上されていないもの合計一二、八六二、九五九円を右元帳の原料購入高と右一一、〇四三、七〇〇円とを加算したもの

の二通りの額を基準にして推計し、同年八月三一日現在には四、六〇〇万円ないし五、九〇〇万円の公表外棚卸が存在し(判決書三一頁ないし三三頁)、さらに

被告会社の第一期、第二期を通じて公表外の仕入をしたという事実を認めるべき証拠はないからこれは第一期首の持込資産に由来するとしか説明できない

と判示しているのである(判決書三四頁)が、原審の右推算の方法によれば被告会社の公表帳簿上では、昭和三五年八月末に仕入処理をしていない右カシミロンを同月の仕入に計上するのであるから、同年八月末に公表外仕入が発生し、これに対応する公表外棚卸漏が発生することになるにすぎないのであつて、持込資産の算出とは全く関係のないことであるうえ、持込資産とは関係なしに公表仕入額からなる期末在庫の一部を公表外棚卸とすることは脱税の方法として通常行なわれることであつて「簿外仕入がないから第一期首の持込資産に由来するものとしか説明ができない」とする原審裁判所の見解は、簿記会計論としては独自の理論といわざるを得ない。

以上のように、原判決が検察官の持込資産が存在しないことを証明する証拠として提出した月別試算表を排して、棚卸を認定するための証拠とすることができない右貸借対照表(証第四一号の一)および棚卸表(証第二一〇号)を採用し、その記載内容を十分に検討しないで右貸借対照表の棚卸高を除いた各勘定記載が被告会社の昭和三五年七月三一日現在の公表の元帳(証第一二号)の残高と一致しているから、棚卸の記載も真実であることを認定していることは採証の法則に違背して、事実を誤認したものであることが明白であるというべきである。

三 被告会社のデザイン帳(証第一三二号ないし第一三八号)を基礎とする持込棚卸資産の推定計算について

(一) 被告会社では、メリヤス製品を製造するに際して、その製品のデザインおよび見積原価を記録するために、その製品の元番、製造に使用する糸種類、仕掛目方、糸単価、加工賃、製品のデザイン(図面)等を記入した見積原価計算表を作成しているのであるが、この見積原価計算表が右デザイン帳である(記録第一五冊第四、七八四丁表以下、証人山崎隆子の証言)。

そして原判決は、右デザイン帳に記載された製品と、被告会社第一期期首、期末の棚卸製品、半製品および期中の売上製品とを結びつけて、これらを総て一旦原料糸費消高に換算して糸種類別に

公表期首糸換算棚卸高 (A)

期中糸仕入高 (B)

期中糸費消高 (C)

公表期末糸換算棚卸高 (D)

を算出したうえ、公表期首に存在しないかまたは期中仕入がないのに期中費消があるか、または公表期末に存在するものを(C+D-B-A)公表外期首持込分とし、公表期末に存在しまたは期中仕入があるのに、期中費消がないかまたは公表期末に存在しないもの(A+B-C-D)を期末追加棚卸洩れ分として把握し、それを集計した結果

第一期期首公表外の原料糸換算持込分 三九、一九三、八七〇円

第一期期末公表外の原料糸換算追加洩れ分 四三、四八五、三九一円

が存在する旨判示した(判決書四一頁ないし五一頁)。この原審の判断は現判決も摘示するように、弁護人の最終弁論補充説明書(Ⅰ)の別紙綴六一頁修正後第一一表原料糸簿外分算出表(記録第一九冊第六、二五九丁表第六、二六〇丁)に記載された数額をそのまま真実として認定した結果によるものである。

(二) 右算式によつて被告会社第一期期首、期末の持込原料糸換算高を正確に算出するには、期中における各月別原料糸仕入高の集計が正確になされていなければならない。

そこで期中仕入高について検討すると、原判決では、昭和三三年一一月仕入分のうち支払手形決済分五、七〇五、〇五五円(染色加工費を加算し、六、一〇九、七二〇円)および同三四年八月仕入分一三、二三三、八〇〇円をいずれも糸種類不明の仕入と認定している(判決書四二頁、四三頁)。

しかしながら被告会社の第一期分の仕入帳(証第一九六号)によれば、右仕入についても糸種類が判明するのである。右仕入帳には、

右三三年一一月仕入分については

品名 金額

2/20 二、四六七、〇〇〇円

2/32 一、〇七二、〇〇〇円

2/42 一、一九八、七七〇円

2/22 六三二、四〇〇円

カシミロン 三二七、三〇〇円

シロツプシヤ 二一、三〇〇円

他 六、二八五円

計 五、七二五、〇五五円

と、また三四年八月仕入分についても

品名 金額

タムタム 三、五一一、四八〇円

シロツプシヤ 一、〇三六、四八五円

アンゴラ 二〇一、七九二円

2/24 四、五九二、〇〇五円

2/20 一四一、一〇〇円

2/32 二、二八二、〇〇〇円

シヨールヤーレ 一、四八八、〇〇〇円

その他 一、六三八円

計 一三、二五四、五〇〇円

と記載されており、その金額は原審が糸種類不明の仕入とした金額とほぼ同一であり、原判決の認定するような糸種類不明の仕入は存在しないというべきである。

したがつて右仕入糸については、当然前記修正第一一表のそれぞれの糸種類の期中仕入高に加算されなければならず、原審のように、これを糸種類不明の期中原料費消高と糸種類不明の期末原料糸高と相殺したり、期中糸種類別仕入金額に按分配賦することはできないのである(記録第一二冊第三、八九九丁裏、鑑定人玉山勇の鑑定報告書二六頁)。

右鑑定報告書でも、特に問題点として、

一一月仕入分の一部五、七〇五、〇〇五円と八月仕入分一三、二三三、八〇〇円の糸種類が不明である点である。

もしこれらの仕入糸種類が判れば第一一表の公表によらない期首持込換算棚卸高の計算は変つてくる筈でありまたこの部分は当然公表期末棚卸高に含まれている筈であるからこれを期末加算分に計上することは同一金額を重複計上する結果になる。

旨の指摘がなされていたのであるから、原審としては、仕入糸の糸種類が明らかになるか否かという純然たる事実認定について慎重に証拠を検討すべきであるのに、右認定は弁護人の主張である前記第一一表の記載を無批判に採用した結果によるものであつて、原判決の右認定を容認することはできない。

(三) さらに原判決は、仕入高の算出にあたつて原料糸費消高に染色加工費が含まれていることから、原料糸仕入高にも染色加工費一二、五一五、〇六〇円を糸種類の仕入高の金額に応じて按分加算した(判決書四二頁)。

しかしながら染色加工費は糸種類によつても加工ロツトによつてもその金額が異なるだけでなく、仕入〓応じて按分加算すれば仕入金額の多額な糸種類に染色加工賃が過大に計上されることになるうえ、〓糸はすべて更糸であつて染糸の仕入れはないことを前提としており、全証拠を検討しても右〓て更糸であることを認める証拠はない。

(四) さらに前記方法によつて簿外原料糸換算持込分を算出するには、デザイン帳記載のとおり原料糸が費消されていなければならない。

ところで原審は右第一一表の原料糸費消高の計算にあたつては、被告会社では実際に原価計算を行なつていないためデザイン帳にもとづいて売上げた製品について取引先別、月別に製品の品名、品番ごとに使用糸の種類を抽出して消費量を計算して、これに消費単価を乗じて算出しようした。

すなわち、被告会社第一期の売上を入出金伝票等により集計し「月別、取引先別、売上個別明細元表」(記録第八冊第二、二七七丁表、弁護人補充陳述書二頁以下)が作成され、これから「取引先別、月別、品名品番別売上集計表(第三表)」(記録第八冊第二、六八四丁表、同補充陳述書三五八頁以下)が作成され、この売上にかかる製品の各品名品番をデザイン帳記載の製品と結びつけて、右売上製品の使用糸の種類、使用原単位(目付、量目)および使用原料の単価にもとづいて原料糸費用高を算出した。これを「取引先別、月別、品名品番別原料費消高算出明細表」(記録第一九冊第六、一九九丁表弁護人最終弁論補充説明書(Ⅰ)別紙修正第四表)とし、これを「月別原料別費消高集計表」(記録第一九冊第六、二五五丁表同別紙修正第五表)に集計し、その数額が前記修正後第一一表原料糸簿外分算出表の期中糸費消高欄に記載されているのである。

そして、原判決の認定するように右修正第一一表の期中糸費消高が正確な数額とするためには、第一期の売上製品と右デザイン帳に記載された見本としての製品との結びつきが正確になされていることを前提とする。

右デザイン帳は、被告会社で製造しようとするメリヤス製品のデザインを把握するため、個々のデザインごとにそのデザイン番号(これを元番という)を付して、その見積原価を記載したものであつて、具体的に売上げた製品の販売先、販売数量を記載する目的で作成されたものではないのである(記録第一五冊第四、八一〇丁表裏第四、八三五丁表裏、証人山崎隆子の証言)。

そして、証第一三二号ないし証第一三八号のデザイン帳七冊の記載内容を検討すると、デザイン帳自体に取引先(売先)糸種類、糸使、製品単価が記載されているものについては、第一期の売上げ製品との結びつきは問題ないが、

○ 糸種類、糸使、製品単価の記載はあるが売先の記載のないもの

○ 売先、糸使、製品単価の記載があつて糸種類の記載がないもの

○ 売先、糸種類の記載のないもの

○ 製品単価だけの記載があるもの

などその記載が不完全で、デザイン帳の記載自体からは、売上げ製品との結びつきが不可能なために、糸単価から糸種類を推定したり、デザイン帳の前後を参考にして糸種類を推定し、製品単価によつて取引先を推定したりして作成されたのが、前記第三表、集計表、修正第四表明細書なのである(記録第一〇冊第三、五八七丁表裏、記録第一五冊四、七九四丁表ないし第四、七九七丁裏証人熊坂晴雄の証言)。

このようにして、デザイン帳に記載された製品の使用糸種別と売上製品の糸種類との結びつきがあるとされるものは、被告会社第一期中の総製品売上高一六二、一三五、〇一五円のうち被告会社の主要取引先であるキヤラバン等三三社に対する売上高一三六、七五六、六一四円だけである。

しかも、右売上高のうち、デザイン帳に記載されたデザイン数は一、四一九点で、そのうち売上に結びつくデザインは七三一点でありその総数に占める割合は五一・五パーセントにすぎない。

またデザイン帳と結びつきがあつて、糸種類が判明したとされる前記三三社に対する売上高のうち、デザイン帳には糸種類の記載がないため該記載自体からは糸種類が判明しないものについては、糸単価によつて糸種類を推定したというのであるが、このような推定が成り立つには同じ糸単価の糸が二種類は存在しないことが前提とされているのである。

ところが被告会社の糸費消高の多い梳毛の二〇番手双糸(2/20)、二四番手双糸(2/24)、三二番手双糸(2/32)のデザイン帳に記載された糸単価をみると次表のとおりであつて、糸単価七五〇円の糸には2/20、2/24、2/32のすべての糸が含まれているのであつて糸単価から糸種類の推定をすることは不可能というべきである。

(一覧表)

〈省略〉

また、前記修正後第一一表の原料糸簿外算出表には、

品名 期首加算分 期中仕入高 期中消費高 期末加算分

アンラム 3,702,987 1,218,768 4,141,402

アンゴララム 4,858,208 1,662,897 3,533,361

と記載され、アンラム糸とアンゴララム糸とは異種類の糸として集計され、その結果アンラム糸については期首簿外分三、七〇二、九八七円が発生し、アンゴララム系には期末簿外分三、五三三、三六一円が発生したとして計上されている。

しかしアンゴララムという糸は、アンゴラとラムの混紡であつて、アンラムとはこのアンゴララムの略語なのであるから(記録第一〇冊第四、七七二丁表、第四、七六九丁裏)、この両者は同一糸種類であつて、修正第一一表のように異種類の糸として受払計算を行なうことは、二重評価をすることになり、許されないのである。

このように同種類の糸であることが明白であるものについてさえ異種類の糸として集計されている修正第一一表の記載は、もともと糸種類の記載が完全になされていないデザイン帳をもとにして、前記のような推定によつたものが多いためである。

このことは、デザイン帳の見本としての製品の記載と売上げた製品とを結びつけて糸費消高を算出することは合理的ではないことを意味しているのであつて、弁護人提出の前記「取引先別、月別、品番別売上集計表(第三表)」の記載を検察官が検討したところ、デザイン帳との結びつきに多くの疑問点があつたため、これを詳細に指摘し釈明を求めた(記録第一〇冊第三、五二五丁表昭和四三年六月二〇日付釈明事項書)ところ、弁護人でさえ同集計表の糸種類および糸使量のほとんどを、二回にわたつて訂正せざるを得なかつたのである(記録第一〇冊第三、五六六丁表以下、昭和四三年九月二四日付修正金額表、同第一五冊第四、七七四丁表以下、四三年一一月一六日付修正金額表)。

そして、これにより訂正された「月別原料別費消高集計表修正第五表」(記録第一九冊第六、二五五丁表)と訂正前の「月別原料別費消高集計表第五表」(記録第八冊第二、七四六丁表)とを比較検討すると糸種類別の費消高のほとんどが訂正されており、三〇番手双糸(2/30)、カシミロンの如きは、

品名 訂正前費消高 訂正後費消高

2/30 三、五四四、二九〇円 一〇一、四二三円

カシミロン 六、〇四七、三〇七円 三、一四一、九二二円

もの差額が生じており、これは、とりもなおさずデザイン帳の記載が不完全なために生じたものといわざるを得ない。

右カシミロンは旭化成の製造した化学繊維であり、被告会社では株式会社蝶理から仕入ていたものであるが、前記修正前の第一一表には、簿外期首持込分が五、二二一、〇二五円も存在した旨記入されていたのに修正後第一一表(記録第一九冊第六、二五七丁表)では二、三一五、六四〇円に減額され、それが最終的には鑑定報告書(記録第一二冊第三、八八六丁以下)の方法によつてさらに二、二八〇、七四五円に減額されている。

ところで昭和三三年九月以前の被告人山崎の個人経営時に山崎メリヤスと蝶理との間にカシミロンの営業的取引があつたか否かについては疑問の存するところであつて、旭化成の永島仁平の証言によれば、

山崎メリヤスとの取引は昭和三三年の後半からだと思う。

というのであつて(記録第五冊第一、四九一丁表、同人の証人尋問調書)、旭化成の府瀬川清蔵証人も

三三年春二月ころから蝶理さんを通じましていろいろな取引という意味ではなくて仕事の話合にいろいろとはいつたということです(記録第五冊第一、五八六丁表)。

三三年二月か三月ころからいろんな編み立て試験をやつていただいた(同第一、六五〇丁裏、第一、六二一丁表)。

旨の証言をしており、これらの証言によれば旭化成では当時商品化しようとしていたカシミロンがメリヤス製品の原料として編み立てが可能かどうかその試験を山崎メリヤスに依頼していたにすぎないことが窺われるのであつて、永島仁平の山崎メリヤスでカシミロンを使用したバルキーセーターの製造をした時期について、

営業的なものは別として三三年九月の展示会のときに作つていただきました。

旨の証言(記録第五冊第一、四九二丁表)も、特別に旭化成で展示会用に編み立てを依頼した趣旨に解されるのであつて、展示会用のセーターの製造があつたからといつて原判決のように直らに営業的取引があつた(判決書五〇頁)ことを認めることはできない(因みに原判決では右永島証言を証人府瀬川の証言として引用しているが誤りである)。

このように旭化成では昭和三三年春から山崎メリヤスに編立試験を依頼していたにすぎず、営業的取引があつたとは認められないのに、前記月別原料費消高集計表では、被告会社第一期期首に約二三〇万円もの簿外カシミロンの在庫が存在したことになつているのであり、これは、デザイン帳の記載が不完全なために期中費消高の計算が正確になされなかつたためと推察されるのである。

右集計表等は、被告会社の取締役でデザイン帳の作成に関与していた山崎隆子と日本経営士会経営士補で被告会社の経営に関する相談員として関与していた熊坂晴雄とが作成したのであり、デザイン帳に熟知している同女らでさえ、デザイン帳と売上製品の結びつきについて十分な把握ができなかつたことを物語つており、また、前記のように非常に多くの推定要素を積み重ねなければならないのであるから、製品の見本作成過程における原価見積をしたにすぎないデザイン帳によつて、被告会社の使用量算出の根拠とすることは根本的な誤りであるといわなければならない。

四 被告会社のメリヤス製品の必要生産日について

(一) 原審は、被告会社のメリヤス製品の生産日数は九〇日以上である旨認定し、これを前提条件として、被告会社の第一期首の公表棚卸高をもつてしては、期首三ケ月間の製品売上高を上げることは不可能であると判示した。

被告会社のメリヤス製品の製造工程は

編み立て

リンキング(ミシンによる編地の縫合)

始末(袖口、裾口など手でかがる)

カラロツク(襟首がほつれないようにミシンをかける)

手編み刺しゆう

釦の穴あけ、ネーム付け、釦付け

等の過程を経由するが、原審は、これに必要な日数を被告会社の下請人らの証言によつて

編み立て 一〇日ないし三〇日

リンキング 七日ないし三〇日

始末 七日ないし一五日

手編み刺しゆう 二五日ないし三〇日

カラロツク、テープ付、釦の穴あけ 一〇日ないし六〇日

釦付 一五日ないし一六日

ネーム付 一〇日

で、合計すると必要生産日数は八四日ないし一九一日となるとし、証人木村裕、同山崎隆子の各証言とを綜合して、九〇日間以上を要すると認定した(判決書二一頁、二二頁)。

しかしながら、右判決は、各製造工程を担当する下請業者の証言を検討することなく、単純加算計算したにすぎず、被告会社の製造にかかる全メリヤス製品に前記の製造工程を必要とすることを当然のこととして認定したものであつて、到底承服することはできない。

すなわち、被告会社の生産形態は備蓄生産ではなく、当時は季節商品であつたメリヤス製品の製造を、納期を指定されて取引先から注文を受ける受注生産であつて、取引先から指定された納期は、被告会社の生産、営業活動に重大な意味をもつところから、被告会社の製造活動はすべて受注の際に決定される納期を基準にして決定されており、下請業者への編み立て等の発注も、この納期と業者の製造能力、機械の仕掛状況等を勘案して発注数量や各製造工程の期間が決定されていたのであり(記録第九冊第三、〇五五丁表以下、証人山崎隆子の証言)、下請業者も被告会社に納入すべき期日を指定されて請け負い、同期日までに被告会社に納品するようにしてきたのである(記録第九冊第三、〇九一丁表以下、証人須賀五郎、同菅野トヨ、同赤間きよ子、同大槻美勝、同菅野キョ子、同佐藤ヨシ子の各証言)。

したがつて、被告会社から下請業者への発注は取引先に対する納期を基準にして、納期まで発送することを前提として下請業者の能力を勘案し、各業者の製造過程の期限内に消化しうる数量が発注されているのであつて、前記各下請業者である証人の証言に表われた製造期間の日数は、その期間内に被告会社に納めるべき数量の下請受注があつたという意味にすぎないと解され、この各証言の日数を単純な算術計算によつて合計したものを、メリヤス製品の実際の生産期間とすることは許されないというべきである。

前記企業診断書(証第一〇五号)によれば、被告会社の製品の生産期間について

工場流動量については工場では確実に掌握していないが聴きとりによると

〈省略〉

(生産期間)

である。

旨記載され(同診断書一五頁)、また被告会社の従業員佐藤カヨは、

問 メリヤスは編み立てると大体何日位でできるものですか。

答 そうですね。工程が多いから、一〇日位はかかるんでないですか。

と証言(記録第三冊第七二九丁表)している。

しかも原判決は、被告会社の各製造工程に要する全日数を合算したものをメリヤスの生産期間としているのであるが、弁護人提出の前記デザイン帳(証第一三二号ないし第一三八号)によれば、被告会社の製造にかかるメリヤス製品の全てにボタンがあり、刺しゆうがあるものではないことが明白である。

右デザイン帳に記載されたデザインによると、総数一、四一九点のうち、釦のあるデザイン数は四七二点で全体の三三・二パーセント、刺しゆうのあるデザインの数は一二五点で全体の八・八パーセントにすぎない。

これを被告会社の第一期期首三ケ月間の売上げた製品とデザイン帳の見本製品と結びつきがあるとされたもの(前記第三表、修正第四表、同第五表参照)にあてはめて、売上製品のデザインの中に占める釦および刺しゆうのある製品の割合をみると、

第一期期首三〇日間では、重要取引先三三社に対する売上高一五、一五八、一四六円のうち、釦のある製品売上高は、二、八三三、九九一円で全体の売上高に占めるその割合は一八・七パーセントにすぎず、右総売上高の約八〇パーセントは釦のない製品で、これらについては釦付、釦ホールの製造工程を必要としないのであるから、生産期間の算出の際にも当然考慮されなければならない。

第一期期首六〇日間では、右三三社に対する売上高二九、一四四、一六三円のうち釦のある製品売上高は八、三八四、八九八円で、全体に占める割合は二八・八パーセント、期首九〇日間では、四八、七九九、七二六円のうち釦のある製品の売上高は、二一、九一七、〇五五円で全体に占める割合は約五〇パーセントにすぎない。

つぎに右各期間の売上高のうち、刺しゆうのある製品の売上高は

期首三〇日間 一、五六四、六三三円

期首六〇日間 二、二六九、三七三円

期首九〇日間 二、六〇六、五七一円

にすぎず、その全体の売上高に対する割合は五パーセントないし一〇パーセントであつて、期首三ケ月間の売上製品の九割は刺しゆうのない製品であることが判明するのである。

然るに原判決は、被告会社の全製品について釦つけ、釦ホール、刺しゆう等を含めた前記全製造工程を必要とすることを前提として、被告会社のメリヤス製品の生産期間は九〇日以上であると認定したのであるが、右認定は、証拠を十分に検討しないで弁護人の主張(記録第一八冊第六、一二三丁表以下最終弁論要旨)をそのまま採用した結果によるもので、正しく合理的な証拠によらない独自の認定であるといわざるを得ない。

しかも、被告人は第一期期首に持込んだ六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円の簿外棚卸は被告会社第三期(起訴第二期)末までに全額回収し、同期末には簿外棚卸は存在しなかつた旨の供述をしているところ、原判決の右持込資産の算出方法の基礎となつた玉山勇作成の鑑定報告書(記録第一二冊第三、八九一丁裏)によれば、存在しない筈の簿外在庫が

八、六一九、一六一円

も存在することになり、右鑑定後に修正された前記第一一表の修正額をもつて検討しても二、五九四、〇六八円の簿外在庫が存在するという結果になるのである。

(二) 以上のように前記公表外原料糸換算持込分

第一期首 三九、一九三、八七〇円

第一期末 四三、四八五、三九一円

が存在するとして、生産期間九〇日間の場合と生産期間一二〇日間の場合を仮定して、被告会社の公表外持込棚卸高を計算する合理的な証拠はないのにかかわらず、原判決が生産期間九〇日の場合

五七、一五五、七五〇円~四三、七九〇、三七九円

生産期間一二〇日の場合

五八、九八五、二一九円~四五、五五一、五〇八円

の持込資産が存在したとしていることは事実誤認も甚だしいものがあるといわねばならない。

五 売上除外、架空雑損失、架空外注工賃の計上などについて

本件逋脱所得の内容をなす売上計上漏、雑収入計上漏、外注工賃の架空計上、工賃架空計上、給料の架空計上などについては、いずれも持込資産の有無によつて逋脱所得の内容になるか否か決せられるから、前述のように持込資産が存在しないことが明らかである以上、当然に認定されて然るべき事実であるから、右各勘定科目について、逋脱所得にならないとした原判決の認定も明らかに事実を誤認したものといわざるを得ない。

以上叙述したとおり、本件各公訴事実は証明十分であるのに、原判決は、被告人の虚偽の弁解を過信し、被告人の主張と証拠を混同して、弁護人の主張をそのまま採用するなどし、事案の真相を看過して無罪の言渡をしたことは明らかな事実誤認であり、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明白であるから、到底破棄を免れないものと思料する。

よつて、原判決を破棄し、さらに適正な裁判を求めるため本件控訴におよんだ次第である。

昭和四六年(う)第二三一号

控訴趣意の補充ならびに釈明

法人税法違反 株式会社 山崎メリヤス

〃 山崎利作

右被告人らに対する頭書の被告事件につき左記のとおり控訴趣意の補充ならびに釈明をする。

昭和四七年三月二八日

仙台高等検察庁

検察官 検事

仙台高等裁判所第二刑事部 殿

第一点 被告会社が被告人の個人企業から株式会社に組織替えになつてからの公表棚卸高をもつてしては右第一期期首三か月に控訴趣意書七ページに記載した売上高をあげることは不可能であるとした原判示に対し検察官は可能である旨主張する計数上の根拠について

一、生産期間について

1. 原審の判示は

被告会社は、昭和三三年八月三一日限り被告人山崎の個人営業を廃止、昭和三三年九月一日に株式会社となつたものであるが、被告会社の第一期(昭和三三年九月一日から昭和三四年八月三一日)期首三か月間の製品売上高は

昭和三三年 九月 一五、七二九、〇〇八円

同 一〇月 一四、五九二、二七九円

同 一一月 一九、九四二、三七五円

合計 五〇、二六三、六六二円

であり、被告会社のメリヤス製品の必要生産日数は九〇日以上であると認められ、期首から生産期間に対応する三か月間に売り上げた製品は、期首において製品もしくは、半製品でなければならず、被告会社の第一期首(昭和三三年九月一日現在)の公表棚卸高(即ち被告人山崎の個人資産の公表引継資産)

製品 一八九、〇〇〇円

半製品 二、〇四六、四〇〇円

原料 一一、五八〇、二九六円

副材料 六七一、六六五円

仕入商品 六、〇一四、一五〇円

合計 二〇、五〇一、五一一円

の公表製品、半製品棚卸高をもつてしては、期首三か月間の製品売上高を上げることは不可能であつて、被告会社設立の際、被告人山崎の相当額の持込資産が存在したことは否定できない。

と判示したがこれは原審が被告人個人営業当時の実態を表わしている符第一〇〇号月別試算表、符一〇五号企業診断書などによる検察側の主張立証よりも、生産期間を九〇日以上とする被告人の主張と証拠を混同して弁護人の主張を採用した結果重大な誤認をおかしたものである。

なるほど判示のように生産期間が九〇日以上かかるのでは

期首製品 一八九、〇〇〇円

半製品 二、〇四六、四〇〇円

計 二、二三五、四〇〇円

で期首三か月の製品売上五〇、二六三、六六二円をあげることはできないように思われる。

これは弁護側の生産期間の主張と売上げに結びつく設立第一期期首の棚卸しが、製品、半製品のみで二、二三五、四〇〇円しかないという被告側の証言をそのまま鵜のみにした結果検察側の主張立証している企業診断書、月別試算表の証拠価値の判断を誤り弁護側の簿外原料系の金額推計計算を安易に採用するに至つたものと考えられる。

そこで、被告会社の生産期間すなわち仕掛期間の実態を証拠によつて立証し期首製品、半製品、原材料で期首三か月の売上を賄いきれるものであり、またそれが昭和三三年頃の被告会社の営業の実態であつたことを証明しようとするものである。

2. 生産期間

検証調書によるメリヤス製品の製造工程は、

〈1〉営業資材活動(素材の研究、決定、見本作成、原料仕入、染色)

〈2〉編立――〈3〉リンキング――〈4〉始末――〈5〉カラロツク――〈6〉手編み刺しゆう

〈7〉テープ付――〈8〉釦の穴あけ、ネーム付、釦付け

〈9〉検品仕上げ

〈10〉梱包発送

となるが、これに要する必要日数は控訴趣意書八六頁記載のとおり一率に確定できるものではない。

また、被告会社では当時シーズンが終つた閑散期に子供セーター、縞物セーターなどを外注先に作らせており、残糸による再生産を行なつていたことが認められ、弁護側の資料をともなわない生産期間の公式論は、昭和三三年当時の被告会社の実態に則しない空論と断言できるものである。

以下弁護側の主張を検討しながら必要生産日数について説明する。

(1) 原審が取り上げている木村裕の生産日数の証言(四一、八、二第一九回公判丁数三、〇六二)では営業資材活動を含めない生産日数は

編立→検収(滞留期間を含む。)二〇日、リンキング二〇日、始末一五日、カラロツク五~一〇日、手編み、刺しゆう二〇~三〇日、テープ付一四~二一日、釦の穴あけ二〇日、ネーム付け釦つけ一四日、検品三~五日

以上平均必要生産日数は一三一日~一五五日にもなり、しかも、この日数は原材料の仕入および染色加工の日数は含まつておらず編立から仕上げ前の中間倉庫に渡すまでであり、梱包、発送の日数も含めないところの日数である。また、同人は、当時手編みの仕事は少なくて刺しゆうの方が多く全製品の三割から四割位あつたと供述し、如何に生産期間が長くかかるということを証言している。この証言内容について弁護側は、

当時被告会社の編立、外注関係を担当したものであるから内職的に仕事をする下請業者の証言よりも、はるかに信頼性の高いものであることは明らかであるばかりでなく、右証人は下請業者では証言していない滞留日数、検品等についても証言しているのであつて、木村裕証人の生産日数についての証言を除外しては本件事案の正確なる判断を期待することはできない。(答弁書一〇〇頁)

と強張している。

しかしその同一人である木村裕は約一年前の昭和三九年六月一九日第六回公判(丁数六三二)において、主任弁護人の尋問に対し、次のとおり供述しているのである。

弁護人 メリヤスが出来るまでの工程はどういうことになりますか、つまり山崎メリヤスでやつている製造方法ですね。

木村 先ず原料を仕入れてから染色工場に廻します。染色が出来ますと編み立て工場に廻しますが殆んど外注工場で編み生地を作つてから縫製外注に廻します。

弁護人 縫製とはどういうことをするんですか。

木村 ミシンとか、手で縫うわけですが、この作業が終わりますと、社内に戻つて来ます。それからボタン穴の裏打ちとかその他の作業が終りますと、また社内に入つて来ます。

それからボタン付とか整理作業をしてもらうために、手内職の仕事としてまた出してやります。それが終つてまた社内に戻つて来てから検品をして仕上げから製品となる訳です。

弁護人 原料を仕入れてから検品、仕上げまでの工程は、どの位かかるか。

木村 大体三か月位かかります。

裁判長 そうすると山崎メリヤス工場でやる仕事は殆んどないことになるんじやありませんか。

木村 そうです。検品と仕上げ位のものです。

と原料を仕入れてから製品となるまで、つまり発送段階までで三か月近くかかると証言しているのであり、しかもこの三か月の主張は昭和三三年前後の被告会社の実態にそくしない生産期間である。

山崎隆子は、昭和四一年七月六日第一八回公判調書(丁数二、八四四)で、生産期間は見本作成から三か月と供述したあと

裁判官 先ほどの三か月というのは見本の作成からはいつたように聞えたのですが。

答 そうです。ですからセーターできるまでのお話しを申し上げたんで、在庫とかなんとかは別です。それを含んじやうと大変です。

問 原料とか半製品、あるいは製品の滞貨の日数ですね。それは先程の三か月という製造工程の話とは直接関係なくなつちやいますか。

答 いいえ、三か月というのは実際に仕事稼動しはじまつてから納品するまでですからサンプルを作つたとかそういうのは日数に入れておりません。

と証言している。

一方佐藤カヨは、第七回公判の証言(記録第三冊第七二九丁裏)で

問 メリヤスは編み立てると大体何日位でできるのですか。

答 そうですか。工程が多いから……一〇日位はかかつているんじやないでしようか。

問 一〇日位ですか。

答 完成するまでは。

問 この昭和三三年当時は、バルキーセーターが多かつたんじやありませんか。

答 そうです。

と証言している。

以上の各証言から生産期間を図解すると、次のように全くその時その時まちまちであることがわかる。特に木村証言は日時の経過と共に一〇年前の生産期間もますます長期になつて来ている。

〈省略〉

(2) 検察側として、強いて生産必要日数を推認するとすれば、編立から製品発送までの必要日数は、一〇日~一五日、原料糸が入荷してから売上が実現するまで二〇日~三〇日前後が証拠上に表われた被告会社の必要生産日数と認められる。

以下これについて説明する。

イ 当時の被告会社の売上の実情

昭和三三年八月、被告会社が山崎利作個人の事業を継承した当時は、まだバルキーの全盛時代であり、バルキーの場合ゲージ数が少なく編み方が簡単であるため通常の生産工程の倍以上の能率があがつたことは周知の事実である。

被告人自身このことに言及し、

バルキーは糸も太く、ゲージ数も少ないので編み方が簡単で外注先から喜ばれた。

と査察官に供述していることでも明らかである。(記録五、六九七丁、三七、六、一五質問てん末書)また佐藤カヨも

昭和三三年当時は、バルキーセーターが多かつた。(第六回公判調書 六六〇丁)

と証言している。

このことは弁護側提出の符第一三二号~一三八号デザイン帳のうち、ゲージ数の記載がある分に対応すると認められる売上だけでも三〇七件六五、七六九、五八三円に達することでも証明される。

(次表参照)

デザイン帳のうちバルキー製品と認められるものの調(機械のゲージ数が5本以下のもの)

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

ロ 売上の形態は、注文品については、一つのスタイルの全数量が完成するのをまつて始めて出荷するのではなく、外注先から流れ作業によつて生産され、出来次第次から次と発送し、売上に計上されていることが証拠によつて明らかである。符第一八二号納品書控(エンパイヤー)の場合の一例を示すと次のとおりである。

〈省略〉

弁護側主張は、生産期間について、

取引先から指定された納期に基づくものでなく、数ケ月先に到来する納期を考慮して作成された被告会社の生産計画によつて下請業者に指示されるのである。

かくて完成された製品は、納期まで相当の日数があるため、工場内の倉庫又は工場外の借入倉庫に保管され、納期直前に発送されるのである。(答弁書一〇三頁)

ということであるが、昭和三四、三五年以降の受注方式と異なり、昭和三三年九月前後の売上は符第一八〇号、符第一八一号売掛帳、仙高検領四符一五号売上日記帳(自三〇、一、七至三五、七、一七)(控訴審提出予定)の各証拠からは「納期まで滞留しておき納期直前に発送」しているけいせきは見当らない。このことは、弁護側提出の四一、五、二五付持込棚卸高についての補充陳述書(その一)月別、取引先別売上集計表によつても明らかである。

なお弁護側の主張する「納期まで相当の日数があり、製品がまとまるまで保管しておき、納期直前に発送される」実例については、次のニその他の物証から検討した生産期間(イ)および(ロ)で説明する。

ハ 原料仕入と染色期間および売上との関係

メーカーから仕入れた原料糸は、同日か翌日、染色委託(主として武藤染工)しており、染色は早いので一日、平均七日で被告会社に納品され、編立外注に廻されている。

昭和三三年一〇月頃の染色加工日数の実態は、今回新たに提出する仙高検領第四号符第三五六号武藤染工カルテと、符第一九六号仕入帳とによつて判明する。

たとえば、昭和三三年一〇月一二日、兼松商店から仕入れた原糸2/22一、〇二七封度は、武藤染

工場に直送し、染め上り次第編立外注に廻されることがわかる。

〈省略〉

佐藤カヨの証言では編立から製品まで工程が多いから一〇日位であり、企業診断書では一五日であるから三三年一〇月に仕入れた原糸は、染め上り次第編立外注、縫製外注と次々と廻され、前述のロの売上のように完成した分ずつ発送されると認められるので、一〇月中に売上製品になり得る。

これが当時の被告会社の実情と考えるべきである。

この事実関係は次表グラフによつて説明することができる。次表は、昭和三三年一月から一二月まで(自三三、一至三三、八間は山崎利作個人事業、自三三、九至三三、一二間は会社)の一年間について売上、仕入、棚卸外注費の相互関係をグラフに示したもので、

売上は仙高検領四符第四五、四六号試算表(控訴審において提出予定)、

符第一〇二号 昭和三三年分青色申告決算書

棚卸は符第一〇〇号月別試算表、符第一〇一号資産負債内訳綴

符第一〇二号 昭和三三年分青色申告決算書

仕入は仙高検領四符第四五、四六号試算表、符第一九五号仕入日記帳

によつた。

出荷(売上)と原材料仕入の流れが比例し、符第一〇〇号月次試算表による棚卸在庫量は、シーズン前の七月でピークを示し、八月以降下降を示し原材料仕入の減少に対応している。

このことは、期首三か月の売上げを上げるには、期首にそれだけの製品半製品を必要とするものでないことを明瞭に物語つておる。生産と出荷が併行するということはその月中に原料製品が入荷すれば、その月中に出荷は可能なのである。原判示の生産期間九〇日以上、昭和三三年八月末に簿外持込棚卸資産が、別に数千万円あつたとの弁護側の主張弁解が如何に不合理であるかが判明すると思う。

弁護側は最終弁論要旨において、昭和三三年度の売上をグラフに表示したうえ、原糸購入から製品生産まで三か月以上を要するメリヤス業においては、八月末が製品、半製品、仕掛品、原材料在庫が最も多量に存在するとしている。(要旨P一三)

しかし、次表グラフによつて明らかなように、三三年四、五、六月の三か月間の仕入高は、符第一〇〇号月次試算表による棚卸高の増加に反映すると共にほぼ売上高に大差なく、簿外仕入が大量にない限り弁護人主張のような在庫が発生することは考えられない。

このことはグラフNo.2.によつて更に明瞭となる。

グラフNo.2.は、公表売上、公表仕入と、外注費(染色加工含み)の相互関連をグラフとしたものであるが、売上は季節によつて波があるが、生産能力に波はないとして売上と生産との間には、相当のずれがある旨の弁護側の主張は、昭和三三年当時の被告会社(被告人)の実情に則しないものであるといえる。

公表売上と公表仕入(原材料製品計)およびなお卸(原材料・製品計)の対化表

〈省略〉

証拠

〈1〉 1~8月売上、仕入

符号102

昭和33年分所得税青色申告決算書

〈2〉 9~12月売上、仕入

符号120 元帳

〈3〉 たな卸

符号100

公表売上仕入

〈省略〉

証拠

〈1〉 1月~8月 符号102

昭和33年分所得税青色申告決算書

〈2〉 9月~12月 符号120 元帳

公表外注費(染色加工を含む)

〈省略〉

〈1〉 1~7月 仙高領 4符号4 5

〈2〉 8月 符102(上記のとおり)

〈2〉の外注費-〈1〉の外注費累計

〈3〉 P~12月 符号120 元帳

ニ その他の物証から検討した生産期間

(イ) 染工場から入荷後販売が実現するまでの生産日数

昭和三三年前後の関係物証がないので、翌年昭和三四年一月一日以降昭和三四年四月二一日までの間糸番手2/24を使用した製品について生産日数を検討した結果は、次表(第一~第七表)のとおりで、同年四月二一日までに二、九四九、八三kg得るためには同年三月二〇日までの分三、〇七七kgで間に合うことになるから入荷以後の生産日数は同年三月二〇日より三三日目で納期に間に合い、販売実現までの必要生産日数は滞留日数を含めて三三日前後となる。………昭和三三年頃はバルキー製品が主体であるのでそれより短縮される。

すなわち被告会社設立当時の生産日数(仕掛期間)は、平均一か月以内であることは前記グラフで判明するとおりである。

第一表 原価材料の使用量と売上の関連表

(その一)

〈省略〉

第一表 原価材料の使用量と売上の関連表 (その一)

1. 第六表により確認された品番に対する売上は、第四表のとおり昭和34年1月9日からであるから、当然繰越した仕掛品より製品化し販売されたものである。

従って、繰越した仕掛品および1月以降の仕入れた材料を順次製品化したものとして計算した表が第一表である。

2. 昭和34年1月以後糸番手2/24を使用した売上については昭和34年4月21日に一句切りがついているので、同年1月以後同年4月21日までの売上数量2,949.83kgに対応する原価を原計したのがこの一表で、次のようになる。

昭和34年12月31日現在の棚卸数量 232.47kg

同 1月中に仕入れた数量 964.93kg

同 3月中〃 5.00kg

計 1,202.40kg…………〈1〉

次に同年4月1日の公表仕入れに計上した2,719kgのうち売上に対応する入荷数量は屑糸の関係もあるから3月20日とした場合1,875kg………〈2〉となり 〈1〉+〈2〉=3,077.40kg(消費量の合計)が対応する原価数量となる。

従って3月20日の最終入荷分が4月21日の売上になっているとすれば生産期間は33日となる。

又、屑糸が原価数量の3,707.40kgと売上げた2,949.83kgの差額以上に出れば染工カルテNo192の入荷月3月22日であるから生産期間は31日となる。

第二表 原価材料の使用量と売上の関連表

(その二)

〈省略〉

原価相当分 売上分

繰越 232.47kg(その一) 2,949.83kg

仕入 969.93kg(その二) 2,985.59kg

武藤カルテ 1,875kg

〃 2,978kg

計 6,055.4kg 計 5,935.42kg

生産ロスも出るのであるから相当と判断される。

第一表

原価材料の使用量と売上の関連表 (その一)

〈省略〉

第一表 原価材料の使用量と売上の関連表(その一)

1. 第六表により確認された品番に対する売上は、第四表のとおり昭和34年1月9日からであるから、当然継越した仕掛品より製品化し販売されたものである。

従って、継越した仕掛品および月以降の仕入れた材料を、順次製品化したものとして計算した表が第一表である。

2. 昭和34年1月以降糸番手2/24を使用した売上については昭和34年4月21日に一句切りがついているので、同年1月以後同年4月21日までの売上数量2,949,83kgに対応する原価を原計したのがこの一表で次のようになる。

昭和34年12月31日現在の棚卸数量 232.47kg

同 1月中に仕入れた数量 964.93〃

同 3月〃 5.00〃

計 1,202.40〃………〈1〉

次に同年4月1日の公表仕入れに計上した2,719kgのうち売上に対応する入荷数量は屑糸の関係もあるから3月20日とした場合1,875kg……〈2〉となり〈1〉+〈2〉=3,077.40kg(消費量の合計が対応する原価数量となる。

従って3月20日の最終入荷分が4月21日の売上になっているとすれば生産期間は33日となる。

又屑糸が原価数量の3,707.40kgと売上げた2,949.83kgの差額以上に出れば染工カルテNo192入荷月3月22日であるから生産期間は31日となる。

第二表

原価材料の使用量と売上の関連表 (その二)

〈省略〉

原価相当分 売上分

繰越 232.47kg (その一)2,949.83kg

仕入 969.93〃 (その二)2,985.59kg

武藤カルテ 1,875kg

〃 2,978〃

計 6,055.4kg 計 5,935.42kg

生産ロスも出るのであるから相当と判断される。

第二表 原価材料の使用量と売上関連表(その二)

1. 第一表につづき昭和34年5月11日に売上げた2,787.59kgおよび同年5月18日に売上げた198kgの計2,985.59kgに対する原価数量は次のようになる。

自昭和34年3月22日至昭和34年3月31日間の入荷数量 1,873.5kg

同 4月1日 〃 4月1日 〃 1,104.5〃(4月5日まで1,004.5kg)

計 2,978〃

上記のとおり売上げた2,985.59kgと原価数量2,978kgは大差なく対応するものと判断される。

生産期間について

5月11日に売上げた2,787.59kgに対応する入荷は武藤染工カルテによれば4月5日現在の2,878kgで間に合うのであるから最終入荷日が4月5日とすれば生産期間は37日となる。

5月18日に売上げた198kgは4月5日に入荷した数量の残と4月9日入荷分との合計であるから生産日数は40日となる。しかし武藤染工カルテNo192、No193でもわかるように毎日入荷していたのが4月9日の入荷分については4日おくれているおり、異例であり数量も少額であり平均値でないので除外する。

第三表

仕入れと染工カルテおよび売上との関連表

〈省略〉

(注) 34.6.1の仕入先はレナウン工業株式会社である。

第三表 仕入れと染工カルテおよび売上との関連表について

(1) 武藤染工カルテ(仙高領4符号356)3月分No192、No193について

イ、武藤染工カルテと売上の関係

(イ) カルテNo192とNo193の右上欄に〈輸〉と記載があり輸出品であることが考えられる。

(ロ) 上記(イ)により符号181売掛帳を検討した結果レナウン東京店の口座によれば昭和34年4月21日と同年5月11日および同年5月27日の品名欄に貿易部と記載があり輸出品であることが判明する。……第三表右側の取引

ロ、武藤染工カルテと仕入れの関係

(イ) カルテNo192によれば染終了後の入荷月日は3月3日が初日であるから仕入入荷月日は3月3日以前であることが考えられる。

(ロ) カルテNo192とNo193共に糸番手が2/24、銘柄フジ紡と記載あるが仕入先の記載がない。

(2) 武藤染工カルテ(仙高領4符号357)5月分No31、No36について

イ、カルテNo31の仕入入荷月日は、4月27日で糸番手2/24、銘柄フジ紡、仕入先丸紅(小坂井)と、記載されているが第7表のとおり4月27日の仕入れは無く、丸紅からの仕入れは6月1日で数量は309.75kgとなっており、カルテNo31の仕入数量200kgと500kg、委託数量200kgと500kgとは全く一致しない。

ロ、第7表のとおり4月27日の仕入は計上されておらず、銘柄フジ紡の仕入れは6月1日のレナウン工業株式会社だけでその取引の内訳は次のとおりである。

〈省略〉

第四表

レナウン商事株式会社に対する売上表(仙高領4符号280請求書控符号181売掛帳)

(その一)

〈省略〉

〈省略〉

第五表 レナウン商事株式会社に対する売上表(符号181売掛帳)

(その二)

〈省略〉

上記に対する斤換算表 (符号280請求書控)

〈省略〉

第四表 レナウン商事株式会社に対する売上表 (その一)

(1) 同品番、原番に対する売上の経過を取引年月日別に検討し打を斤換算した表である。

自昭和34年1月9日 至昭和34年3月20日

第五表 同上 (その二)

自昭和34年4月21日 至昭和34年6月12日

第六表

品番と同一商品原番の検討表(符号107の7約定書)

〈省略〉

第六表 品番と同一商品原番の検討表

(1) 通常の売上は、ダース又は枚数が単位であるが使用した糸の数量を検討するために作成した表である。

イ 符号107の7約定書No5490(昭和34年3月5日約定)によれば第6表のとおり品番、打当の目方、単価、売上金額等が判明する。……第六表の〈1〉

ロ 前記約定書のNo5545(昭和34年7月3日約定)によればイで品番であったものが原番に変り2,001番が品番1,100に又原番3,002が1,101原番17が品番1,103にとなったことが判明する。………第六表の〈3〉

ハ 仙高領4符号280の請求書控によれば、旧品番が全く記載されていないが、ロのとおり旧品番が原番に変り品番が変ったことは確実であり、イ(〈1〉の表)の単価と同額の単価のものを組み合わせた結果、〈2〉の表のとおりになるので原番と品番の関係が出てくるものである。以上の結果打当りの使用量が判明するものである。

ニ 品番14についての1打当りの使用糸の斤数が不明であるから前記10斤の品番1,100を100%として、1打当りの斤数と単価の割合を算出したところ殆んど比例するので〈2〉の単価の割合107.7%を採用し10斤×107.7%=10.7斤を四捨五入し11斤として計算を行った。

第七表 糸番手2/24の仕入状況表

糸番手2/24の仕入明細で仕入先別、仕入月日、銘柄、数量、単価、金額を検討した表である。

第七表

糸番手2/24の仕入状況表(符号196仕入帳)

〈省略〉

数量上欄は銘柄である 1玉は10封度

(ロ) 約定書面からの生産日数

符第一〇七の七約定書と、仙高検領四符二八〇号請求書(控訴審提出予定)を検討した結果、契約日から製品売上実現までの総日数は次表「約定書の納期と実納入の関係表」のとおりとなる。

契約時期が昭和三四年三月~四月、営業資材活動(素材の研究、決定、見本作成、原料仕入、染色)から編立→梱包発送まで、また出来次第発送しているのでないから滞留日数その他一切を含めたとしても、契約日(約定日)からの総延日数は二九日、四八日、六八日に過ぎない。

昭和三三年九月頃は、出来上り次第納品している実情であり、しかもバルキーが主体であるため生産期間が短期間であると認められるので比較はできないが如何に生産期間が納期に左右されるか、また生産が短期間にできるかということが判明する。(木村裕証言参照)

約定書の納期と実納入の関係表(符号107の7約定書仙高領4符号280請求書控)

〈省略〉

34.6.18 1打不足分訂正

売上高 5,459,000円 14,046,440円 738,000円

総日数 48日 68日(第1回) 29日(第1回)

(ハ) サンプル納品と納期からの生産日数

取引先に対するサンプル納入月日と、その本来の売上納期の判明するものを抽出し、生産期間の日数を検討した結果、平均二六・九五日となり、生産期間推認の参考となるものである。(別紙サンプル納入と納期調べ)

(3) 生産期間(仕掛期間)の推認

生産期間を強いて推認するとすれば、被告会社設立時点の実情を示す証拠として符第一〇五号秘企業診断書があるが、これによると生産期間一五日である。

また、生産期間に関する弁護側の証言のうち、佐藤カヨは「編立から製品ができるまで工程が多いから、一〇日位はかかるんでないですか」と供述している。

染色外注期間は約七日(前記(2)のハ、および仙高検領四符第三五六号武藤染工染色カルテ一〇月分)(控訴審提出予定)その他前記グラフによる公表売上と公表仕入および棚卸の対比表などを勘案すれば、編立から製品まで一〇日から一五日、したがって染色から製品まで三〇日程度が被告会社の昭和三三年九月当時の実情であると考える。

サンプル納入と納期調べ

符第一八一号売掛帳などからサンプル(と思われるもの)の納入月日と、その本来の売上納期の判明するものを抽出し生産期間の日数を検討したもの

1. 最低の期間の合計一、二一三日を四五件で割れば平均二六・九五日が生産期間となる。(サンプル納入日からの日数であるから、実際の生産日数はそれよりも短縮される。)

サンプル納入および納期調

(注)元帳にサンプルと記載があってもサンプル売上のみのものは除外した。

〈省略〉

〈省略〉

サンプル納入および納期調

(注)元帳にサンプルと記載があってもサンプル売上のみのものは除外した。

〈省略〉

サンプル納入および納期調

〈省略〉

二 期首公表棚卸資産のうち製品、仕掛品の金額について

1. 原審は、山崎隆子、山野辺実の証言だけで、被告会社設立期首の公表棚卸高(被告人山崎の個人資産の公表引継資産)の棚卸品の内訳をそのまま採用しているが、符第一〇二号昭和三三年分青色申告決算書てん付棚卸明細表には、各外注工場の仕掛品、工場在庫の仕掛品、半製品、製品が詳細に記載されている。特に自社生産製品が一八九、〇〇〇円しかなかったとしたのは事実誤認である。

証拠を検討した結果は次のとおりとなるべきである。

〈省略〉

2. 期首棚卸品のうち製品(自社製品)三、八二七、九〇〇円について

原判示では、設立第一期首の公表引継棚卸資産の「製品」八、二四九、五五〇円のうち

製品(自社製品)は 一八九、〇〇〇円

半製品 二、〇四六、四〇〇円

計 二、二三五、四〇〇円

で、残り六、〇一四、一五〇円は、仕入製品であるとしたが、符第一〇二号昭和三三年分青色申告決算書てん付棚卸明細書について符第一九五号仕入日記帳、符第一〇〇号月次試算表てん付棚卸明細書によると、仕入製品とした六、〇一四、一五〇円の大半が自社製品であり、仕入製品とした六、〇一四、一五〇円のうち最少限度に見ても三、六三八、九〇〇円は自社製品であったことが判明する。

このことは、別表一~別表五によって説明する。

別表一 月末間の棚卸移動状況表(商品、製品)

別表二 別表一に関する商品仕入明細表

別表三 月別棚卸明細表(商品、製品、半製品)

別表四 昭和三三年七月分仕入検討表

別表五 外注製品検討表

(1) 別表三を検討すると、一部の品名以外については、毎月末の在庫の数量が異動していることがわかる。

(2) 月末に異動している品名のうち数量の増加しているものについて昭和三三年八月三一日現在を中心として作成した表が別表一である。

〔別表一の表で昭和三三年六月三〇日現在と昭和三三年七月三一日現在および昭和三三年八月三一日現在と昭和三三年九月三〇日を対象としたのは昭和三三年七月一日以後同年七月三一日までおよび昭和三三年九月一日以後同年九月三〇日の間の仕入れた商品の品目の明細が判明するためである。

(3) 仕入れについては別表四のとおり符第一九五号の仕入日記帳の昭和三三年七月分と符号一〇二昭和三三年分所得税青色申告決算書の二、売上(収入)金額および仕入金額の内訳の2、仕入金額の七月分の金額が一致し、又昭和三三年九月分については符号一九五の仕入日記帳、符号一九六仕入帳(買掛帳)により仕入明細が判明する。

(4) 別表二のとおり、昭和三三年七月分の商品仕入れの中には、別表一の品目に該当するものが無いのであるから、昭和三三年六月三〇日現在の数量より昭和三三年七月三一日現在増加している品目は当然自社製品となるべきである。このことは、別表五、外注製品の種類別検討表および符第一九五号仕入日記帳で裏付けできる。

従って、昭和三三年八月三一日現在と昭和三三年九月三〇日の間についても同様であり、昭和三三年八月三一日現在の合計三、八二七、九〇〇円から当初から製品として計上して一八九、〇〇〇円を除いた三、六三八、九〇〇円が製品となる。

(5) 上記(4)の三、八二七、九〇〇円は数量の増加したものだけを対象として選定したものであり、これ以外にも符号二二、代精算書控五月分符号二〇手関係、符号二三代精算書控、仙高検領四符号八二一外注縫製出入帳(控訴審提出予定)仙高検領四符号八二二同(控訴審提出予定)の証拠を検討しても更に増加するものである。(別表五参照)

別表一 月末間の棚卸移動状況表(商品、製品)

〈省略〉

別表二 別表一に関する仕入明細表

〈省略〉

別表三 月別棚卸明細表(商品、製品、未完成品)

No1

〈省略〉

No2

〈省略〉

No3

〈省略〉

No4

〈省略〉

No5

〈省略〉

No6

〈省略〉

No7

〈省略〉

別表四 昭和33年7月分仕入検討表

〈省略〉

別表五 外注製品検討表

〈省略〉

(別表五の説明No.1)

原審では、被告会社設立第一期首の公表棚卸高について、棚卸表の「製品」欄合計額八、二四九、五五〇円のうち

製品(外注による自社製品)は 一八九、〇〇〇円

半製品(〃)は 二、〇四六、四〇〇円

計 二、二三五、四〇〇円

であり

残り六、〇一四、一五〇円は、すべて他からの仕入製品と認定したことになるが、実際は仕入商品とした六、〇一四、一五〇円の大半が製品(外注による自社製品)であったことが証拠によって推認できる。

以下その点について詳述する。

被告会社では、昭和三一年頃から地方売りを開始したが、それは中央に向かない製品を処分する目的のため開拓したと認められ、山崎隆子が

中央に向かない製品の処分するため地方販売の開拓の必要がありましたので三一年頃に当時の東邦銀行保原支店長さんから東邦銀行の各支店長さんあての紹介状をもらって、各支店長さんからさらにその地方の有力な小売店を紹介してもらって卸売りを始めました。

と査察官に供述しているとおりである。(三七、六、一三質問てん末書、記録第一七冊五、六六一丁)地方売りの場合、小さな商店が相手なので、ある程度別な品物を売らなければ商売がうまくゆかないので、自社製品のほかに、反物、手袋、肌着等を他から仕入れているのであって、(査察官に対する販売課長横山玄邦の質問てん末書3問、記録第三冊八五一丁)、それら仕入製品は限られた品種で、しかも金額的には少額であることが符第一九五号仕入帳で判明する。

しからば、被告会社では注文品以外に、どのような品種の製品を生産していたのか、という点については、外注縫製出入帳、代精算書によってどのようなものを外注していたかがある程度判明する。

昭和三三年、被告会社設立前後およびそれ以前の外注関係書類は破棄されているが、昭和三五年頃の断片な次の証拠によって注文品(注文品外注は原則として品番がついている)以外の外注製品名を抽出したのが別表五である。

仙高検領四符第八二一号外注縫製出入帳(控訴審提出予定)

符第二三号  代精算書控

符第二〇号  手関係

仙高検領四符第八二二号外注縫製出入帳(控訴審提出予定)

符第二二号  代精算書控

なお仙高検領四符第八二二号外注縫製出入帳に、残糸整理として「3/13 スポーツ10」と記載があるが、残糸について簡単に付言する。

木村裕は残糸について査察官の取調べの際に、

問 残糸の状況は、

答 原糸貸与数量と製品の出来高に端数が生ずるので、必ず残糸がでることになっており回収しています。

しかし、原紙に乾燥不十分のものもあり、目減りするので帳簿のとおり残糸が出ない場合もあり、この点社長からもやかましく言われています。

総体的に通常原料の四%ないし五%位はロスとなり残糸がでます。

問 残糸の処理はどうしますか。

答 シーズンが終って閑散なときに、子供のセーターとか、縞物のセーターを作らせていますが、最近(昭和三七年六月頃)では仕事の切れ目がなくて、三六年度の残糸が処理できず約五屯位残っています。

と供述している。(木村裕の三七、六、一九付質問てん末書、公判記録第一七冊五、六七八丁)

すなわち昭和三三年当時被告会社では外注先から残糸を回収しその再生産は、シーズンの終った二月から春先の閑散期、外注先に仕事がなくなった頃に、残糸または在庫染糸で子供セーター、子供ズロース、ズボン下半、胴巻などを作成させて地方に卸していたことがうかがわれる。被告会社の企業診断を行なった伊藤栄一も残糸について、

多くの場合、メリヤスは、きちんと目方を測って出す(外注へ)わけにゆかないので残糸が出るわけです。その残糸を工場が回収しないので利益を一五%に見積っても実際には利益が落ちるんだと指摘して、その後現物が会社に納まつた後、支払(外注工賃)をすることにして、他の企業より一歩早く無駄のない経営をやるようになったと記憶しています。

で、糸は購入したもの全部を使用することになっているわけですが、実際はそういうこともあるわけです。

一年間残糸を使わないで積んだら一〇屯あったということです。

この残糸がまた製品とされてゆくところに、当時のメリヤスのうま味があった訳です。

と証言(第二〇回公判 四一、一一、一五記録第一〇冊三、二一二丁)しているものである。

3. 外注仕掛品および染色加工済の染糸(仕掛品)について

設立第一期首の棚卸品中の原料は、符第一〇二号(昭和三三年度所得税青色申告決算書てん付棚卸明細書)では、合計で一一、五六九、一八〇円となっているが、同棚卸明細書の原料品目別内訳明細によって

外注工場在庫(仕掛品)が 八八二、二五〇円

染色加工済(第一次工程の終った仕掛品)染糸 九、〇一五、七八七円

原糸 一、六七一、一四三円

であることが判明する。

(1) 外注工場在庫分は原糸→染色加工→染糸の工程が完了し、編立縫製外注に廻され三三年八月三一日現在仕掛品となっていたものであり、前述の仕掛日数(生産期間)から言えば、一〇日も経ないうちに製品となり得る仕掛品である。

直接の担当者であった木村裕は、符第一〇二号棚卸表(三三、七、三一現在=個人当時)を示され、原料について、

この表でいいますと右下に〈検木村〉の印のあるのがそれで、品名数量は私が調べて書いたものです。

これで全部で、このとおりまちがいありません。

外注工場在庫というのは編立に出したものですが、編立が終ってこちらに来るまでは、棚卸については原料として評価していました。これはいつの年度も同じです。

と供述しているとおり、被告会社(三三、八月以前は個人)では原料として継続的に評価して来たのである。

(2) 染色加工済の染糸は、原糸→染色加工の工程が終了し、縫立編製外注に廻せば、一〇日~一五日で製品になり得る第一次工程を終えたこれも仕掛品である。

(3) 原判示は、生産期間九〇日以上の前提をそのまま採用した結果、原料棚卸高については期首三ケ月間の売上実現には全く関係なしとしたものと認められるが、染色加工済の仕掛品、外注工場在庫の仕掛品は弁護側の主張する営業資材活動(素材の研究決定、見本作成、原料仕入、染色)の終了した仕掛品であったことは証拠上明らかに推認できるものである。

染糸の棚卸表

〈省略〉

〈省略〉

外注工場仕掛品

〈省略〉

三 原判示による公表棚卸高でもって、設立第一期期首三ケ月の売上が可能であることの説明

1. 検察としては、次の公表棚卸高をもって可能であると判断する。

製品 三、八二七、九〇〇円

商品 二、三七五、二五〇円

半製品 二、九二八、六五〇円

染糸 九、〇一五、七八七円

原料糸 一、六七一、一四三円

副資材 (六八二、七八一円)

計 二〇、五〇一、五一一円

理由 「期首」仕掛品(染糸、外注染糸)半製品一一、九四四、四三六円が一〇日~一五日間後には製品に転化可能であり、二ケ月目の売上は、前月仕入原料で賄い得る。

その関係を図解すれば、次表のとおりとなる。

昭和33年8月31日現在の棚卸資産で翌朝(法人第一期)首売上を賄い得る金額の調

〈省略〉

昭和33年8月31日現在の棚卸資産の売価換算計算表

〈省略〉

〈省略〉

第二点 脱税の犯意について

第一点において釈明したとおり、被告会社に被告人の個人企業から相当額の持込資産が存在した高度の蓋然性があるとした原判示は事実を誤認したものであり、従ってその前提を欠くに至るので本件逋脱の犯意は明らかである。

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